日本歴史地名大系 「久保田河岸」の解説 久保田河岸くぼたがし 茨城県:結城市久保田村久保田河岸[現在地名]結城市久保田鬼怒(きぬ)川と田(た)川の合流点に位置し、田川をさかのぼった下野宇都宮とも直結し、大いに発展していた。嘉永六年(一八五三)の鬼怒川通積問屋名目再興願書控(宮田家文書)に「私共元積問屋株渡世之儀、慶長年中先祖共相始、慶安三寅年川筋取計方之儀ニ付、御奉行所様御連名之御裏御尊判頂戴所持、御趣意之趣相弁相続罷在候」とあり、久保田河岸などが慶長年間(一五九六―一六一五)に成立していたことをうかがわせる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報