久保田遺跡(読み)くぼたいせき

日本歴史地名大系 「久保田遺跡」の解説

久保田遺跡
くぼたいせき

[現在地名]基山町大字長野字西長野

基山町のしき付近より東に延びる洪積層高位段丘はなだらかな丘陵となって南方の現鳥栖とす市北部一帯へ広がり、その丘陵の東北端付近、標高四〇メートルに位置する。弥生時代前期末より後期前半頃までの甕棺墓群。昭和四六年(一九七一)調査が行われた(「新郷土」昭和四六年六月号)

発掘された甕棺は二六基で、そのうち一一基は小児甕棺であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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