久利村(読み)くりむら

日本歴史地名大系 「久利村」の解説

久利村
くりむら

[現在地名]大田市久利町久利

今市原いまいちはら村の北に位置し、銀山ぎんざん川の中流部、赤波あかなみ川・戸蔵とぐら川の三河川の合流する地点を中心に開ける。東は安濃あの川合かわい村。古代から中世にかけては久利郷に含まれた。正保国絵図に村名がみえ、高七一八石余。元禄一〇年(一六九七)石見銀山領村々覚によると田方五三八石余・畑方一八九石余、年貢高は米三三七石余・銀一貫五〇九匁。家数は本家八九・門屋九八、人数七九〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む