久利郷(読み)くりごう

日本歴史地名大系 「久利郷」の解説

久利郷
くりごう

邇摩にま郡の内。康平六年(一〇六三)一一月三日の石見国司庁宣(久利文書)に「久利郷」とみえ、久利氏祖先と考えられる清原頼行に久利郷の郷司職が補任されている。応徳元年(一〇八四)九月一〇日の清原正宗譲状(同文書)に四至として東は「平野前安谷河」、南は「津々部野加立尾福原河」、西は「大屋河尻」、北は「殿原橋本」を限るとあり、当郷は正宗から清原則房に譲り渡されている。大治元年(一一二六)六月一九日清原長房は久利および仁満にま雨河内あまごうち(現仁摩町)の三ヵ郷を安堵されている(「石見国司庁宣」同文書)。なお久安三年(一一四七)二月一一日、清原長房は先祖相伝を根拠に「久利別符司」職に補任されているが(「石見国留守所下文」同文書)、実態などは不明。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文の邇摩郡公領のなかに「くりのかう 廿丁五反大」とみえる。鎌倉時代初期には久利行房が久利・仁満・佐摩さま・雨河内の四ヵ所の地頭職を得ており、その後は惣領家から庶子家への分割相続が進み、仁満・久利・佐摩・雨河内から、さらに久利・角折つのおれ赤波あかなみ市原いちはらおに村に分割されている(「久利家系図」久利文書)

久利郷
くりごう

郷域は現唐津市大字久里くりを中心とする地域に比定される。郷名は「肥前風土記」にはみえないが、風土記にいう松浦郡一一ヵ郷の一と考えられる。「和名抄」に「久利」とみえるが、諸本訓を欠く。

「肥前風土記」鏡渡かがみのわたりの記事に「栗川」がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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