久吉村(読み)ひさよしむら

日本歴史地名大系 「久吉村」の解説

久吉村
ひさよしむら

[現在地名]碇ヶ関村久吉

東から西へ流れる津苅つがり(津苅沢川とも)下流に位置し、西に行くと秋田領へ出る碇ヶ関通の俗称船岡森ふなおかもりへ出る。

「津軽歴代記類」によれば、享和初年より文政六年(一八二三)までに開かれ、大鰐組に属したという。村名の由来は文化(一八〇四―一八)の頃京都から陶工久吉が来て、大山祇おおやまずみ神社付近から陶土を掘り、久吉焼と名付けて売出したが、まもなくやめた。キュウキチが、ヒサヨシと読みかえられたのだという。文政七年写の陸奥国津軽郡之図(市立弘前図書館蔵)に村名がみえる。文化一二年の御郡中堅炭釜調書(弘前市史)に炭釜二枚とみえ、伐木や炭焼の生活が推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報