久家村(読み)くがむら

日本歴史地名大系 「久家村」の解説

久家村
くがむら

[現在地名]志摩町久家

可也かや山の南西、独立した低い山塊を取囲むように立地。久家浦がある。西に延びる砂洲を挟み北は茅の海(引津湾)、南は沖の海(船越湾)に面し、西は船越ふなこし浦、東は御床みとこ村およびいずみ川河口部の入海に面する。久我とも記した。小早川時代の指出前之帳では御床村のうち。慶長七年(一六〇二)の検地高は五二二石余、うち大豆二三七石余(慶長石高帳)。元禄元年(一六八八)の村位は下、田二五町三反余・畠四五町一反余、高五三一石余(「志摩郡御床触郡帳」鎌田家文書)。うち田五町三反余・畠一八町六反余、高一六九石余が浦分。田圃志による元禄五年の高五三一石余。枝村に寺山てらやま村があった。石高書上帳案の郡帳高も同じ。享保二年(一七一七)の壱作田畠は三町五反余(「志摩郡村々田畠畝高帳」鎌田家文書)。田が少なく、大工・杜氏・蔵男、他村への奉公など出稼が盛んであったが(「御開田御発記録」寺山鎌田家文書)干拓によって田畠は増加し、明治初期の田畠八九町六反余(地理全誌)

集落本村(香付・井上)と御床村に対面する寺山村、船越村とを繋ぐ砂洲上の浦分からなる(天明五年「御床触村々風土記下地書上帳」鎌田家文書、「続風土記拾遺」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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