久後村
くごむら
[現在地名]岡崎市久後崎町
乙川と矢作川の合流点、乙川南岸台地上に位置し、上六名村に南接する。寛永郷帳、「三河国二葉松」には「供後」と記す。もと材木町の東町、久後切の者が移住したことにより村名となった。「三河聡視録」に「久後切、東材木町ト連尺新町境迄ノ字ナリ、誰昔ニ亀頭山ノ駈ニ在
之故ニ駈村ト云、然ニ人皇百七代正親町院ノ御宇天正十九年ヨリ岡崎ノ城主田中兵部大輔吉政在城ノ時城郭ヲ広大ニセント亀頭山ヲ伐払ヒケル、其時大矢川ノ南ニ転シケルヨリ久後村ト書ス、其古跡ヲ後世ニ残セシ迚今ニ久後切トハイヱリ」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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