…康重は領内検地を実施,天守閣を築き,城下町の整備につとめるなど藩政の成立に努力した。康重のあと康紀,忠利とつづき,45年(正保2)利長のとき遠江国横須賀に移され,水野忠善が三河国吉田から5万石で入封した。忠善は性剛毅,武勇を好み,新しく家臣を召し抱えて軍備の強化をはかり,新田を開発するなど藩政の確立につとめた。…
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[藩政]
初期の大名はいずれも藩政の確立に努力した。最初吉田藩,のち岡崎藩主となった水野忠善(ただよし)は,家康に仕えた三河以来の歴戦の勇士で譜代意識が強く,鬼監物と呼ばれて数々の逸話の持主である。中期以降は藩財政の困窮もあってその再建が試みられたが,なかでは岡崎藩の水野忠辰(ただとき)による藩政改革の試みと田原藩での渡辺崋山の活躍が注目される。…
※「水野忠善」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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