久志検間切
ぐしきぬまぎり
沖永良部島に所在した行政区画の一。元禄四年(一六九一)より沖永良部島に代官が派遣されるに伴い、従来の徳時間切に代わって置かれたと推定される。現知名町屋者にある元禄三年六月八日死亡の墓石銘(役人名不明)に「屋謝村久志検」とみえ、同町下城村の同一一年の要家文書にも「女子思おとかね 久志検与人女房」と記されている。当間切には喜美留・国頭・西原・古里、久志検・余多・屋者・芦清良・黒貫・徳時・馬鹿(現知名町)の一一ヵ村が所属したとされ(沖永良部島沿革誌私稿)、地域的にまとまっていない。間切には島役人として与人、その配下に間切横目などが置かれ、与人役所は和泊村にあった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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