久手川村(読み)ふてがわむら

日本歴史地名大系 「久手川村」の解説

久手川村
ふてがわむら

[現在地名]輪島市久手川町

塚田つかだ村の南、塚田川の中・上流山間部に立地。正保郷帳に村名がみえ、高二八五石余、田方一二町八反余・畑方六町二反余。承応三年(一六五四)の村御印の高二七九石余、免五ツ三歩(能登奥両郡収納帳)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高二八七石、免六ツ、小物成は山役一八四匁(三箇国高物成帳)。延宝二年(一六七四)の家数五一(「村々肝煎給米等付帳」円藤文書)。元和五年(一六一九)稲舟いなぶね村との山論では、当村山のうち杉木口・細池口・百文山の三ヵ所で稲舟村が製塩用の薪や自給用薪をとり年二六〇文を当村に支払うことになった。しかし貞享五年(一六八八)にも稲舟村との山論が再発している(「山論裁定状」久手川町区有文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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