久本玄智(読み)ヒサモト ゲンチ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「久本玄智」の解説

久本 玄智
ヒサモト ゲンチ


職業
箏曲家(山田流)

生年月日
明治36年 4月14日

出生地
島根県

学歴
東京盲学校〔大正11年〕卒

経歴
5歳の時失明、11歳で上京し、東京盲学校で初代萩岡松韻に箏曲を学んだ。また舟橋栄吉にピアノ、声楽を習った。東京盲学校教諭となり、のち東京教育大に吸収されて同教授。昭和5年から作曲を始め、山田流で宮城道雄の新日本音楽運動を実践、洋楽器との協奏作品、多編成の箏の合奏曲「飛躍」などを作った。また点字楽譜を初めて使用した。25年から常盤会主宰。ほかの代表作品に「春の恵」「輝く陽」「虫の楽」「祝典三重奏曲」などがある。

没年月日
昭和51年 3月21日 (1976年)

家族
娘=久本 成子(箏曲家)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「久本玄智」の解説

久本 玄智
ヒサモト ゲンチ

昭和期の箏曲家(山田流)



生年
明治36(1903)年4月14日

没年
昭和51(1976)年3月21日

出生地
島根県

学歴〔年〕
東京盲学校〔大正11年〕卒

経歴
5歳の時失明、11歳で上京し、東京盲学校で初代萩岡松韻に箏曲を学んだ。また舟橋栄吉にピアノ、声楽を習った。東京盲学校教諭となり、のち東京教育大に吸収されて同教授。昭和5年から作曲を始め、山田流で宮城道雄の新日本音楽運動を実践、洋楽器との協奏作品、多編成の箏の合奏曲「飛躍」などを作った。また点字楽譜を初めて使用した。25年から常盤会主宰。ほかの代表作品に「春の恵」「輝く陽」「虫の楽」「祝典三重奏曲」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久本玄智」の解説

久本玄智 ひさもと-げんち

1903-1976 昭和時代の箏曲(そうきょく)家。
明治36年4月14日生まれ。5歳で失明。山田流箏曲を初代萩岡松韻(しょういん)に,ピアノ・声楽を舟橋栄吉にまなぶ。のち母校東京盲学校の教諭をへて東京教育大教授となる。日本ではじめて点字楽譜で演奏した。昭和51年3月21日死去。72歳。島根県出身。作品に「飛躍」「三段の調」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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