出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
生田流(いくたりゅう)箏曲(そうきょく)演奏家、作曲家。本姓菅(すが)。前芸名中菅道雄(なかすがみちお)。4月7日神戸市に生まれる。7歳ごろ失明し、8歳で神戸の2世中島検校(けんぎょう)に入門。2年後師匠が病没し、3世中島検校に師事、11歳で免許皆伝となる。13歳のとき、一家の生計を支えるため朝鮮半島に渡り、父の在住する仁川(じんせん/インチョン)で箏(こと)の師匠となる。修行なかばで師のもとを離れた彼は既習曲の反復だけでは飽き足らず、作曲を志し、1909年(明治42)『水の変態』を作曲。翌年京城(現ソウル)に移住、1913年(大正2)入婿して改姓し、芸名をやめて本名の宮城道雄を名のる。1914年、尺八家吉田晴風(よしだせいふう)に会い生涯の親友となる。宮城は朝鮮時代にもたびたび神戸の旧師中島や熊本の地歌(じうた)名手長谷幸輝(ながたにこうき)を訪れて修行を積み、1916年大検校の称号を受ける。1917年、先に上京した吉田に呼び寄せられて東京に赴き、1919年第1回作品発表会を東京・本郷中央会堂で、第2、第3回を東京音楽学校奏楽堂で開く。彼の才能は葛原(くずはら)しげる、高野辰之(たかのたつゆき)、山田源一郎、田辺尚雄(たなべひさお)ら洋楽系作曲家、評論家、学者などに注目され、助言や後援を受ける。1920年、本居長世(もとおりながよ)と協同で新作発表会を「新日本音楽」と銘打って開く。放送やレコード活動、さらに1923年から尺八家の初世中尾都山(なかおとざん)と組んで各地を演奏旅行し、その名声は全国的に広まった。またフランスのバイオリン奏者ルネ・シュメーは宮城の『春の海』(1929)を編曲して宮城と合奏し、それをレコードに吹き込み、世界的名曲ならしめた。1930年(昭和5)東京音楽学校講師、1937年同校教授となる。1948年芸術院会員。1950年NHK第1回放送文化賞受賞。1953年フランス、スペインの国際民族音楽舞踊祭に日本代表で参加し、絶賛を浴びた。昭和31年6月25日、関西への演奏旅行の途上、東海道線刈谷(かりや)駅付近で夜行列車から転落し、死亡した。
宮城の功績は、箏曲の伝統に根ざしつつ洋楽を取り入れ新しい日本の音楽を創始した点にある。1921年に考案した十七絃(じゅうしちげん)を用いた大編成の合奏曲から童曲まで、作曲作品は300曲を超える。代表曲に『秋の調(しらべ)』(1919)、『落葉の踊り』(1921)、『さくら変奏曲』(1923)、『越天楽変奏曲(えてんらくへんそうきょく)』(1927)、『虫の武蔵野(むさしの)』(1932)、『道灌(どうかん)』(1936)、『日蓮(にちれん)』(1953)などがある。
後継者に宮城喜代子(きよこ)(1905―1991。道雄の姪(めい)で、のちに養女。重要無形文化財保持者)があり、1951年(昭和26)に組織化された箏曲「宮城会」の主宰者を務めていた。また道雄没後の1978年には、宮城道雄記念館(東京都新宿区中町)が設立された。
[平山けい子]
『吉川英史著『宮城道雄伝』(1979・邦楽社)』▽『吉川英史・上参郷祐康著『宮城道雄作品解説全書』(1990・邦楽社)』▽『小野衛著『宮城道雄の音楽』(1987・音楽之友社)』▽『千葉潤之助、千葉優子著『宮城道雄音楽作品目録』(1999・宮城道雄記念館)』
生田流箏曲家・作曲家。神戸に生まれる。旧姓菅(すが)。眼疾のため幼時に失明。箏曲・地歌を生業に選び神戸の2世中島検校に入門。続いて3世中島検校に師事。1905年免許皆伝,中菅の芸姓を許され,師の代稽古を務める。07年朝鮮の仁川に移住,箏曲教授を開始。作曲をも志して14歳で処女作《水の変態》を作曲。10年京城(ソウル)に移住。13年結婚,妻の親戚の宮城姓を継承。その間も神戸の旧師や熊本の三味線の名手長谷検校に師事して研修を続けた。京城で生涯の協力者となった琴古流尺八家吉田晴風と出会う。両人は東京進出を図り,17年相前後して上京。生活苦と闘いつつも洋楽作曲法,洋楽器,雅楽などを学び,箏,三味線,尺八の音楽を基礎に洋楽的要素を摂取した新傾向の作曲活動を本格的に開始した。
1919年第1回,20年第2回,21年第3回と3年続けて自作発表会を催す。保守的な邦楽界は冷淡だったが,文化人,評論家,洋楽作曲家の注目を浴び,しだいに各界人士の支持・後援を得るにいたる。20年洋楽系の本居長世との合同作品発表会の際に吉田の発案で〈新日本音楽〉と銘打ったが,以来これが宮城,吉田らの新作活動の通称となった。23年以来宮城は初世中尾都山とも提携,帯同して各地を巡演,都山流の組織により宮城曲は全国的に普及する。
1920年代は宮城の大活躍の時期である。多くの新作曲の発表,新楽器(十七弦,新胡弓,短箏,八十弦)の考案,楽譜の著作等々,顕著な業績がこの期に集中している。演奏活動も死にいたるまで盛んで名手といわれたが,とくに20年代には草創期のレコードやラジオにも積極的に出演したので宮城の名は大いに広まり,他方では古曲演奏や古曲風新作曲にも努力したため,その実力は保守勢力からも評価されるにいたった。
1930年東京音楽学校講師,32年教授(のちに東京芸術大学教授)。30年からは東京盲学校でも教え,そのころから自宅の門弟も急増した。その社中はのち51年に宮城会として組織され,現在も生田流箏曲界の一大会派として存続する。33年に来日したバイオリン奏者シュメが宮城の《春の海》を編曲して彼と合奏し,そのレコードが国内外で好評を博した。48年芸術院会員,53年フランスとスペインで催された国際民族音楽舞踊祭に日本代表として参加,イギリスにも遊び各国で演奏して好評を博した。56年大阪への演奏旅行の途次,誤って夜行列車から転落,死亡する。
作曲は350曲を超える。その業績は和洋音楽の融合,楽曲形式の拡張,技巧の飛躍的拡大,邦楽器の新考案・改良,教習面の新工夫等々,まことに多角的である。随筆家としても有名で,随筆集10点(のちに《宮城道雄全集》に収録)を著している。代表作は前述のほか,《秋の調》,《落葉の踊》(1921),《せきれい》,《さくら変奏曲》《瀬音》(ともに1923),《越天楽変奏曲》(1927),《手事》(1946),《日蓮》《ロンドンの夜の雨》(ともに1953)。
→新日本音楽
執筆者:上参郷 祐康
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大正・昭和期の筝曲家,作曲家 東京音楽学校教授。
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1894.4.7~1956.6.25
大正・昭和期の地歌・箏曲の演奏家・作曲家。兵庫県出身。旧姓菅。8歳のとき地元神戸の2世中島検校(初世絃教(げんきょう))に入門,その後2世中島絃教および熊本の三弦家長谷幸輝(ながたにゆきてる)に学ぶ。1920年(大正9)本居長世と「新日本音楽大演奏会」を開催し,以来,新鮮な感覚と技巧的な作品を多数発表するとともに,十七弦・新胡弓(こきゅう)・八十弦などを考案し,全国的に名をあげる。30年(昭和5)東京音楽学校講師。37年教授。東京盲学校の講師も務める。48年芸術院会員。56年列車から転落して死亡。「落葉の踊」「越天楽(えてんらく)変奏曲」「春の海」など350曲をこえる作品を残す。名随筆家でもあった。
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…箏曲の組歌は,寺院歌謡として伝承された越天楽歌物が源流と認められる。近代では宮城道雄作曲,近衛直麿・秀麿編曲の箏(そう)とオーケストラの協奏曲《越天楽変奏曲》もある。学校教育の中でも紹介され,雅楽曲の中ではもっともよく知られた曲である。…
…箏の一種。低音域用の箏として,1921年宮城道雄が鶴川新兵衛に製作させた。形態は13弦の箏に似るが,長さ7尺(2.1m)程度(当初は8尺ほどの大十七弦と,7尺の小十七弦とあったが,前者の頭部を短くしたため,いずれも同長となった)で,弦も13弦箏より4倍程度太いものを張り,頭部のピンで張力を調節する。…
…箏・尺八(1尺6寸管)伴奏の歌曲。1921年宮城道雄作曲。歌詞は北原白秋の詩で2節より成り,セキレイ(鶺鴒)の飛び交う山間の渓流の情景を描く。…
…これを〈明治新曲〉という。大正から昭和初期にかけて,東京に進出した宮城道雄や米川親敏(ちかとし)(琴翁)らは,洋楽の技法をも取り入れた創作活動を展開,とくに宮城を中心とする派は,〈新日本音楽〉と称して,単に箏曲のみならず,邦楽全体の新創造を目標とし,以後,箏曲を中心とする創作活動はきわめて活発となり,山田流箏曲家でも,中能島欣一などきわめて現代的な作品を作る者が多くなるとともに,洋楽の作曲家も,箏の作品を書くようになる。現代では,〈現代邦楽〉と呼ばれる創作の一つとしても,箏曲が存在する。…
…宮城道雄作曲の箏と尺八の二重奏曲。1929年に,翌年の勅題〈海辺巌(かいへんのいわお)〉にちなんで作曲された。…
…1909年2月ころに宮城道雄が作曲した新傾向の箏曲。韓国の仁川に在住中,14歳のときの処女作。…
※「宮城道雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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