久留美村(読み)くるみむら

日本歴史地名大系 「久留美村」の解説

久留美村
くるみむら

[現在地名]三木市久留美

跡部(あとべ)村の東、蛇行しながら西流する美嚢(みの)川右岸に位置する。村の南端で北流してきた志染(しじみ)川を合する。北は加東(かとう)郡山田(やまだ)村(現小野市)。中世には当地を含む一帯は久留美庄とよばれ、鎌倉時代には九条家領、室町時代には奈良春日社領であった。天正八年(一五八〇)二月二八日、杉原家次は昨年不作であった久留美村の肝煎百姓らと協力し、田畠を荒さないよう飯尾理右衛門尉に命じ、その代りに羽柴秀吉に申請して屋敷土居回りの分を免除されるよう取計らっている(「杉原家次判物」飯尾文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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