朝日日本歴史人物事典 「乙骨太郎乙」の解説
乙骨太郎乙
生年:天保13(1842)
幕末明治期の英学者,翻訳家。甲府徽典館学頭や江戸城天守番を務めた乙骨耐軒の長男として江戸に生まれた。名は盈,太郎乙は通称,華陽と号した。漢,蘭,英に通じ,万延1(1860)年,蕃書調所書物御用出役,開成所と改称後に教授手伝,教授へと進む。維新後,徳川家に従って静岡に移り,沼津兵学校教授となる。明治5(1872)年,政府に徴されて大蔵省翻訳局勤務,8年退官したが,11年海軍省御用掛となり23年まで各種の翻訳を担当した。東大の雑誌『学芸志林』に海外科学記事の紹介が多数載る。ライエルの地質学書の漢訳『地質浅釈』の訓点書も世を益した。晩年は旧幕臣の漢詩の集い「昔社」を結び,風流の日々を送った。妻の継は杉田玄白の曾孫。3男三郎は東京音楽学校教授。
(石山洋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報