コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

杉田成卿 すぎたせいけい

6件 の用語解説(杉田成卿の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

杉田成卿
すぎたせいけい

[生]文化14(1817).江戸
[没]安政6(1859).2.19.
江戸時代末期の蘭学者。杉田玄白の孫。西洋眼科医であった立卿の子。 20歳のとき,蘭医学を坪井信道に学び,儒学を萩野緑野に学んだ。天保 11 (1840) 年幕府の天文台訳員に任じられた。弘化1 (44) 年命を受けて,宇田川榕庵,品川梅次郎とオランダ図書の翻訳にあたった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

すぎた‐せいけい【杉田成卿】

[1817~1859]江戸後期の蘭学者。江戸の人。名は信。号は梅里。玄白の孫。坪井信道に学び、のち蕃書調所教授となる。訳著に「医戒」「済生三方」などの医学書、「海上砲術全書」などの兵学・理学・史書があり、蘭文に「玉川紀行」がある。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

杉田成卿 すぎた-せいけい

1817-1859 江戸時代後期の蘭学者。
文化14年11月11日生まれ。杉田立卿(りゅうけい)の子。坪井信道(しんどう)にまなぶ。幕府天文台訳員となりオランダ国王の国書などを翻訳。若狭(わかさ)(福井県)小浜(おばま)藩医をへて安政4年開校した幕府蕃書調所(ばんしょしらべしょ)教授となる。安政6年2月19日死去。43歳。江戸出身。名は信。号は梅里など。訳書に「医戒」「済生三方」「砲術訓蒙(くんもう)」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

すぎたせいけい【杉田成卿】

1817‐59(文化14‐安政6)
江戸時代後期の蘭学者,医師。杉田玄白の孫にあたり,立卿の子。名は信,号は梅里。成卿は字。江戸に生まれる。漢学を大槻磐渓(おおつきばんけい)に,蘭医学を坪井信道に学び,ドイツ語にも通ずる。1840年(天保11)幕府天文台訳局の訳員となり《海上砲術全書》などの翻訳に従事。44年(弘化1)オランダ国王が幕府に開国をすすめる国書を呈したとき,その翻訳グループの一員となり,53年(嘉永6)ペリー来航の際もアメリカ国書を訳した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

すぎたせいけい【杉田成卿】

1817~1859) 江戸後期の蘭学者。江戸の人。杉田玄白の孫。幕府天文台訳員、小浜藩侍医、のち蕃書調所教授。1853年ペリー来航の際、応接にあたる。著訳書「海上砲術全書」「医戒」、蘭文「玉川紀行」

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

杉田成卿
すぎたせいけい
(1817―1859)

江戸末期の蘭学者(らんがくしゃ)。立卿(りゅうけい)の子。名は信、号は梅里、成卿は通称。1836年(天保7)蘭方医坪井信道(しんどう)に入門、医学・蘭学を学ぶ。1840年天文台訳員に任ぜられ、蘭書の翻訳に従事、1845年(弘化2)家を継ぎ、小浜(おばま)藩酒井侯侍医となった。1853年(嘉永6)アメリカ船・ロシア船来航のおりは箕作阮甫(みつくりげんぽ)とともに応接、文書取調べにあたった。1854年(安政1)天文台訳員の職を辞し、西洋砲術書の訳述に専従。1856年蕃書調所(ばんしょしらべしょ)教授職に補せられた。訳著の業績多く、1843年、天文台で宇田川榕菴(ようあん)、箕作阮甫とともに幕命によりカルテンJ. N. Caltenの『海上砲術全書』の翻訳にあたった。1849年には『済生三方』3巻、『医戒』、『治痘真訣(しんけつ)』を刊行、また幕命で『沿海警備略説』1巻を訳す。1850年『済生備考』、1852年幕命により阮甫と『軍用火箭考(かせんこう)』17巻を訳出。1853年幕命により『海上砲術全書』を校訂。1856年には『砲術訓蒙(くんもう)』12巻を刊行した。また蘭文の『玉川紀行』は名文として知られている。[片桐一男]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の杉田成卿の言及

【実学】より

…佐久間象山は,西洋の自然科学の〈窮理〉(物理を究める)に基づく有用の学を実学となし,横井小楠の実学は,仁と利,すなわち道徳性と功利性とを統合しようとするものであった。また箕作阮甫(みつくりげんぽ),杉田成卿ら洋学系の学者は,実験,実証に基づいた洋学こそ実学であると主張し,明治維新後の実学観へとつながった。 明治以降となると,江戸期の学問はすべて空理を論ずる虚学とみなし,江戸末期の和魂洋才論的な発想の実学者たちが,あくまで儒学の優位性を主張したのに対して,西洋の政治,経済,哲学,軍事学をそれに代わるものとした。…

【蕃書調所】より

…そこでこれに対処するため洋学校の設立を図り,55年(安政2)に古賀増を洋学所頭取に任命し,翌年2月に洋学所を蕃書調所と改称,九段坂下の旗本屋敷を改修して校舎にあて,同年7月に開所,翌57年1月から開講した。教官の陣容は教授職2名で,箕作阮甫(みつくりげんぽ)(津山藩医)と杉田成卿が任命され,教授手伝に川本幸民(三田藩医),高畠五郎(徳島藩医),松木弘安(薩摩藩医)ら6名,ほかに句読教授3名が任命されたが,その後逐次補充増員されて幕末に及んだ。教官ははじめ陪臣が大部分であったから,彼らはいつ主家から呼び戻されるかわからず,そこで幕府は主要な洋学者を直参に登用することにし,62年(文久2)に箕作阮甫と川本幸民を直参に取り立てたのをはじめ次々と直参に登用している。…

※「杉田成卿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

杉田成卿の関連キーワード杉田立卿蘭学宇田川玄真杉田片倉寿繁下間良弼杉田恭卿杉田伯元須原屋市兵衛西島俊庵

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone