帰山教正(読み)カエリヤマノリマサ

デジタル大辞泉 「帰山教正」の意味・読み・例文・類語

かえりやま‐のりまさ〔かへりやま‐〕【帰山教正】

[1893~1964]映画監督東京の生まれ。日本映画近代化を求める「純映画劇運動」を展開。日本映画初の女優起用や、シナリオを用いた弁士なしの映画形式への転換などを試みた。作品「生の輝き」「深山乙女」「白菊物語」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「帰山教正」の意味・わかりやすい解説

帰山教正
かえりやまのりまさ
(1893―1964)

映画監督。東京生まれ。東京高等工業学校卒業。1913年(大正2)欧米映画紹介雑誌『フィルム・レコード』(のち『キネマ・レコード』と改題)を創刊。1917年、天活の輸入係として入社、日本最初の映画創作論『活動写真劇の創作と撮影法』を出版する一方、弁士主体の演劇実写的映画から欧米映画形式への転換を主張して「純映画劇」運動を展開。1918年に村田実ら若い新劇人と協力して天活で『生の輝き』『深山の乙女』の2本を監督した(公開は翌年)。日本映画に初めて女優(花柳(はなやぎ)はるみ)を登場させたこの2作は、日本映画の最初のヌーベル・バーグともいうべき作品である。その後も1923年までに十数本のサイレント映画を演出したが、みるべきものはない。

[千葉伸夫]

資料 監督作品一覧

生の輝き(1918)
深山の乙女(1918)
日本芸妓の踊り(1919)
幻影の女(1920)
白菊物語(1920)
湖畔小鳥(1920)
さらば青春(1920)
悲劇になる迄(1921)
愛の骸(1921)
濁流(1921)
不滅の呪(1921)
皇国の輝(1922)
神代の冒険(1922)
濁流(1922)
噫(ああ)!祖国(1922)
お信ちゃんの恋(1923)
父よ何処へ(1923)
愛の曲(1924)
寂しき人々(1924)
自然は裁く(1924)
少年鼓手(1926)
輝く大地(1926)
俊雄と静子(1926)
疑問の黒枠 前篇(1927)
銀砂は輝く(1930)
新生の村(1930)

『帰山教正著『活動写真劇の創作と撮影法』増補版(1921・正光社)』

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20世紀日本人名事典 「帰山教正」の解説

帰山 教正
カエリヤマ ノリマサ

大正期の映画監督,映画技術研究者



生年
明治26(1893)年3月1日

没年
昭和39(1964)年11月6日

出生地
東京府麴町四番町

学歴〔年〕
東京高工機械科〔大正3年〕卒

経歴
大正2年謄写版刷りの同人誌「活動備忘録」を発行、第3号から活版印刷、誌名も「キネマレコード」と改め映画雑誌の草わけとなった。3年日本キネトフォンに入社、6年天然色映画活動写真株式会社(天活)に転じ、純映画劇運動を志して7〜9年「生の輝き」「深山の乙女」を製作したが、弁士ら営業部の反対で公開は1年遅れた。第3作「白菊物語」はイタリア映画業者からの注文で、この時から映画芸術協会を名乗った。その後「湖畔の小鳥」「いくら強情でも」を作り、第6作「悲劇になるまで」7作「愛の骸」は松竹キネマで製作したが、間もなく監督をやめ、撮影、映写技術の指導に当たった。映画革新の先駆であった。著書に「活動写真劇の創作と撮影法」「映画の性的魅力」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「帰山教正」の意味・わかりやすい解説

帰山教正
かえりやまのりまさ

[生]1893.3.1. 東京
[没]1964.11.8. 東京
映画監督,映画技術研究家。東京高等工業学校在学中から映画に興味をもち,1913年日本最初の映画評論誌『キネマレコード』を創刊,また日本映画の舞台の模写的作品にあきたらず,18年女優採用,字幕使用,活弁の廃止を目標とした純映画劇運動を提唱,その実践として『生の輝き』『深山の乙女』を作り,翌年公開した。これらは画期的革新として迎えられ,日本映画の発展に大きく貢献した。のち数本の作品を発表して引退,映画技術の研究に従事した。主著『活動写真劇の創作と撮影法』 (1917) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「帰山教正」の解説

帰山教正 かえりやま-のりまさ

1893-1964 大正時代の映画監督。
明治26年3月1日生まれ。大正2年欧米映画の紹介雑誌「フィルム・レコード」を創刊。のち天然色活動写真に入社。純映画劇を提唱して「生の輝き」「深山(みやま)の乙女」を製作・監督した。昭和39年11月8日死去。71歳。東京出身。東京高工(現東京工業大)卒。著作に「活動写真劇の創作と撮影法」。

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367日誕生日大事典 「帰山教正」の解説

帰山 教正 (かえりやま のりまさ)

生年月日:1893年3月1日
大正時代の映画監督;映画技術研究者
1964年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の帰山教正の言及

【映画】より

…このころに活動写真から映画に総称用語が移り変わっていったことがわかる。《活動写真劇の創作と撮影法》(1917)を書いた帰山教正が,〈活動写真劇〉(舞台脚本,女形,セット撮影)1本分の製作費で,〈映画劇〉(オリジナルシナリオ,女優,出張撮影(ロケーション))2本作れると宣言し,続いて実際に《生の輝き》《深山の乙女》(ともに1918)を作ってこれを〈純映画劇〉と称したのもこの時期であった。日本活動写真株式会社(日活),天然色活動写真株式会社(天活)などといった映画会社に対して,牧野教育映画制作所といった社名が生まれたのもこの時期(1921)である。…

【日本映画】より

…天活は,旧劇では成功したものの,新派では日活と小林商会に圧倒され,数年のうちに業績不振に陥った。そこへ出現したのが帰山教正(かえりやまのりまさ)(1893‐1964)の〈純映画劇〉である。
[帰山教正と純映画劇運動]
 天活の映写技師兼外国部員であった帰山教正は,陰ぜりふの廃止と字幕の使用,女形に代わる女優の採用,演出法の改革に基づく〈純映画劇〉運動を提唱,新劇の村田実,青山杉作らと映画芸術協会を組織して,天活首脳部を説得し,18年,《生の輝き》《深山(みやま)の乙女》をつくった。…

※「帰山教正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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