亀ヶ地新田村(読み)かめがんじしんでんむら

日本歴史地名大系 「亀ヶ地新田村」の解説

亀ヶ地新田村
かめがんじしんでんむら

[現在地名]十四山村亀ヶ地新田

南は四郎兵衛しろうべえ新田村、西は東蜆ひがししじみ新田村に接する慶安三年(一六五〇)開墾小村。「徇行記」によれば、村高六八石余はすべて蔵入地。田は一〇町七反余、畑は一反四畝余。「寛文覚書」に戸数三、人数一八とある。「徇行記」は「農屋ハ市江悪水落、宝川辰巳ノ隅曲リ目堤上ニ建ナラヒ、小百姓ハカリ也、高ニ準シテハ戸口多ク、他村ヲ出作シテ生産トス、無高者多シ(中略)潮除井桁長三百二十間、悪水落井道井桁破損ノ時、百姓自分人足出ス」と記し、上流地域も遠く市江いちえ悪水などまでの排水を余儀なくされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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