亀ヶ岡村(読み)かめがおかむら

日本歴史地名大系 「亀ヶ岡村」の解説

亀ヶ岡村
かめがおかむら

[現在地名]木造町亀ヶ岡

屏風山びようぶさん砂丘の東部末端に位置する。南は館岡たておか村、田圃を隔てて北は畔屋あぜや村、東に田光たつぴ沼へ注ぐ山田やまだ川がある。

津軽一統志」によれば、元和八年(一六二二)後の亀ヶ岡・館岡両村を含む地域は近江沢おうみのさわとよばれ、二代藩主津軽信枚により、新城築城が計画された。永禄日記館野越本(北畠氏蔵)によれば、近江沢が城下になったら亀ヶ岡というべきで、その理由は昔より甕の形をした瀬戸物が多く出土するからだという。天和三年(一六八三)の広須御新田所図に亀ヶ岡村とみえ、享保一一年(一七二六)の村名改称并新村創立調(八木橋文庫蔵)では亀ヶ岡村が瓜生うりゆう村と改称された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報