亀ヶ森館跡(読み)かめがもりたてあと

日本歴史地名大系 「亀ヶ森館跡」の解説

亀ヶ森館跡
かめがもりたてあと

[現在地名]大迫町亀ヶ森 八幡館

稗貫川の河谷に権現堂ごんげんどう山の尾根が延びた八幡館はちまんたて山にある。平地との比高約三〇メートルで、主郭は東西約八〇メートル・南北約一〇〇メートルで、南側の尾根は掘割で断ち切られ、他の三方腰郭がめぐり、さらに下方には水堀があったという。文亀三年(一五〇三)稗貫氏の家臣八十沢外記が居城したが、天文九年(一五四〇)八十沢氏は没落し、同じく稗貫氏家臣の亀ヶ森図書光広が入ったという(亀ヶ森郷土史年表)。慶長五年(一六〇〇)一〇月二四日の南部利直書状(宝翰類聚)に「亀森之城」とあり、亀森(亀ヶ森)玄蕃の居城であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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