日本大百科全書(ニッポニカ) 「亀山の仇討」の意味・わかりやすい解説
亀山の仇討
かめやまのあだうち
人形浄瑠璃(じょうるり)、歌舞伎(かぶき)の題材の一つ。事件は1701年(元禄14)5月、石井半蔵・源蔵の兄弟が父と兄の敵(かたき)赤堀源五右衛門を28年目に伊勢(いせ)亀山で討ったもの。翌年9月竹本座初演といわれる浄瑠璃『道中評判敵討(かたきうち)』をはじめ劇化を繰り返し、多くは敵役赤堀源吾(改名して赤堀または藤川水右衛門)の悪の魅力を中心にした敵討物として一つの世界を構成するようになった。主要作は、浄瑠璃で近松半二(はんじ)の『道中亀山噺(ばなし)』(1778)、司馬志叟(しばしそう)の『敵討優曇華亀山(うききのかめやま)』(1794)、歌舞伎脚本で近松徳三の『敵討千手助護剣(せんじゅのすけだち)』(1790)、4世鶴屋南北(なんぼく)の『霊験曽我籬(れいげんそがのかみがき)』(1809)、『霊験亀山鉾(かめやまぼこ)』(1822)、『藤川舩話(ふじかわぶねのりあいばなし)』(1826)など。明治以降はこれらを混合した台本が多く上演されている。
[松井俊諭]