デジタル大辞泉
「近松徳三」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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ちかまつ‐とくぞう【近松徳三】
- 江戸後期の歌舞伎作者。徳叟とも。通称徳右衛門。大坂の人。近松半二に師事。辰岡万作とともに上方の劇壇で活躍、お家物・世話物を得意とした。「伊勢音頭恋寝刃」など。宝暦元~文化七年(一七五一‐一八一〇)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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近松徳三(叟) (ちかまつとくそう)
生没年:1751-1810(宝暦1-文化7)
歌舞伎作者。俳名雅亮。初め浄瑠璃作者近松半二に入門,その後歌舞伎に転ずる。最初徳蔵と名のり,1784年(天明4)に徳叟と改め,86年11月大西芝居で立作者となる。95年(寛政7)徳三と改名,その翌年角(かど)の芝居の《伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)》で名声をあげ,並木五瓶東下後の京坂で,辰岡万作とともに没年まで活躍した。その作は60余編あり,読本の翻案を手掛けた最初の人。
執筆者:土田 衞
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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近松徳三
没年:文化7.8.23(1810.9.21)
生年:宝暦1(1751)
江戸中・後期の歌舞伎狂言作者。通称徳右衛門。俳名雅亮。屋号大枡屋。俳諧師一炊庵紹廉の孫。幼時から芝居好きで,浄瑠璃作者近松半二の門に入る。天明4(1784)年近松徳叟と改名。初代並木五瓶,辰岡万作の下で助作者を勤める。同6年から立作者の位置を占めるようになる。寛政7(1795)年徳三と改名して大坂,京都で活躍,並木五瓶東下後の上方作者界の第一人者となった。辰岡万作と対照的に世話物,御家物を得意とし,「花より実に入る」作風とされた。また,読本や実録からの翻案も多いのが特色である。代表作は「艶競石川染」「伊勢音頭恋寝刃」など。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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近松徳三 ちかまつ-とくぞう
1751-1810 江戸時代中期-後期の歌舞伎作者。
宝暦元年生まれ。はじめ浄瑠璃(じょうるり)の近松半二に師事するが,歌舞伎に転じて初代並木五瓶(ごへい)らのもとで修業。寛政8年「伊勢音頭恋寝劔(いせおんどこいのねたば)」が評判となり,その後,辰岡万作とともに京坂で活躍した。文化7年8月23日死去。60歳。大坂出身。初名は近松徳蔵。前名は近松徳叟。俳名は雅亮。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の近松徳三の言及
【伊勢音頭恋寝刃】より
…4幕7場。近松徳三作。1796年(寛政8)7月大坂藤川八蔵座(角の芝居)初演。…
【生写朝顔話】より
…5段。文化年間(1804‐18)に,山田案山子([近松徳三]の別号)が,講釈師司馬芝叟(しばしばそう)の長話《蕣(あさがお)》をもとに竹本重太夫のために書いた浄瑠璃は,上演されずに終わった。1811年(文化8)に雨香園柳浪の挿絵入りの10編の読本《朝顔日記》が成立し,広く読み親しまれたので,その後大坂堀江市の側芝居で《生写蕣日記》と題し歌舞伎化した。…
【柳沢騒動物】より
…歌舞伎の一系統。柳沢騒動を材料にした作品群をいう。[柳沢吉保]は,小身者から将軍徳川綱吉の寵愛(ちようあい)を得て大大名に出世したが,実録本の《[護国女太平記]》は吉保を野望をもつ悪人として描き,講釈ではお家騒動風に脚色して語られた。歌舞伎の作品はこれらを材料にして作られた。最初は1793年(寛政5)1月大坂中の芝居の辰岡万作・[近松徳叟]作の《けいせい楊柳桜(やなぎさくら)》で,柳沢騒動に[淀屋辰五郎]の話を配している。…
※「近松徳三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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