20世紀日本人名事典 「亀川哲也」の解説 亀川 哲也カメカワ テツヤ 大正・昭和期の国家主義者 生年明治24(1891)年12月21日 没年昭和50(1975)年6月21日 出生地沖縄県宮古島 学歴〔年〕早稲田大学専門部法科〔大正3年〕卒 経歴会計検査院に勤め、あわせて経済学を学ぶ。その間政友会領袖の森格の私設経済顧問を務める。昭和8年山崎延吉らと大日本農道会を組織するが、まもなく除名。9年山口一太郎らの大亜細亜学生連盟に入り、西田税らと相沢三郎の公判に活動する。11年の2.26事件直前、久原房之助から資金援助を受け、事件に際して「昭和維新」政権樹立を画策したが、検挙され、12年無期懲役となった。敗戦直後の大赦で釈放。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「亀川哲也」の解説 亀川哲也 かめかわ-てつや 1891-1975 昭和時代前期の国家主義者。明治24年12月21日生まれ。会計検査院にはいり,森恪(かく)の私設経済顧問となる。昭和8年山崎延吉(のぶよし)らと大日本農道会を組織。11年二・二六事件の謀議にくわわり,無期禁固。戦後,大赦で釈放される。昭和50年6月21日死去。83歳。沖縄県出身。早大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by