日本歴史地名大系 「亀有村」の解説 亀有村かめありむら 東京都:葛飾区亀有村[現在地名]葛飾区亀有一―五丁目・お花茶屋(おはなちやや)一―三丁目・西亀有(にしかめあり)一丁目・同三丁目・白鳥(しらとり)二―三丁目・青戸(あおと)八丁目中川を挟み新宿(にいじゆく)町の西に位置し、南は青戸村・宝木塚(ほうきづか)村、西は上千葉(かみちば)村・砂原(すなはら)村、北は古隅田(ふるすみだ)川を隔て足立郡長左衛門(ちようざえもん)新田(現足立区)。水戸・佐倉道が通る。中世は葛西(かさい)御厨のうちで、応永五年(一三九八)八月日の葛西御厨田数注文写(鏑矢記)に「亀無 三十六丁 公田四丁三反」とみえる。年月日未詳の葛西御厨入部注文写および葛西御厨田数注文写(ともに同書)には「亀無 四十町三段」と記される。北条氏所領役帳には遠山丹波守綱景の所領として「百拾三貫八百弐拾四文 葛西 亀梨」とある。「義経記」巻三(頼朝謀反の事)に千葉介(常胤)・葛西兵衛(清重か)の知行所として「亀無」などがみえ、海人の釣舟が徴発されている。なお前掲田数注文写で、亀無の前に記される上袋は比定地不詳。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by