本所上水(読み)ほんじよじようすい

日本歴史地名大系 「本所上水」の解説

本所上水
ほんじよじようすい

葛西領沿岸部(西葛西領新田筋)に飲料水を供給した水路瓦曾根かわらそね溜井(現埼玉県越谷市)から取水し、江戸時代に入り埋立・干拓によって開発された江東地域(現在の墨田区・江東区一帯)に送水した。現在は曳舟川親水ひきふねがわしんすい公園として整備されている。亀有かめあり上水の名もあり、小梅古こうめこ上水・白堀しらほり上水ともいわれた。創始については、寛永四年(一六二七)(「御用向旧記留帳」綾瀬館文庫)万治―寛文年間(一六五八―七三)(風土記稿・葛西志)、元禄年中(一六八八―一七〇四)(参考落穂集)など諸説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の本所上水の言及

【本所】より

…1660年(万治3)に本所築地奉行が設置され,竪(たて)川,横川,十間(じつけん)川,南割(みなみわり)下水などの堀がつくられ,低地を埋め立てて宅地が造成された。また,この地域への飲料水の供給のために亀有上水(本所上水)が綾瀬川から引かれている。1659年には大橋(両国橋)も竣工し,交通の便もよく,武家屋敷や町屋の建設も進んだ。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」