日本歴史地名大系 「亀須新田」の解説 亀須新田かめずしんでん 三重県:三重郡川越町亀須新田[現在地名]川越町亀須新田町屋(まちや)川(員弁川)の河口付近南岸に位置し、西方には当(とう)新田、東に亀尾(かめお)新田がある。江戸時代桑名藩領。慶安郷帳(明大刑博蔵)にはみえず、元禄郷帳に縄生(なおう)村(現朝日町)の枝郷として出る。文政年間(一八一八―三〇)頃は戸数二三、人口一二三、牛一二、神明社一。本高のほか新田高二七石余、縄生村よりの越高五四石余があった。現在も縄生新田の地名が残る(「案内雑書」西尾市岩瀬文庫蔵)。助郷の負担の開始時期は不明であるが、文政年間以降桑名宿の助郷として人足二人を課せられていたと考えられる(「桑名宿助郷三組分出人足覚」大塚家蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by