二俣郷(読み)ふたまたごう

日本歴史地名大系 「二俣郷」の解説

二俣郷
ふたまたごう

天竜川中流左岸、同川支流の二俣川流域一帯に比定される中世の郷。「吾妻鏡」文治二年(一一八六)四月二一日条によれば、遠江守護(遠江国司兼任)安田義定が鎌倉に参上して源頼朝に源義経を岩室いわむろ(現豊岡村の山寺岩室寺)で探索したが不明であったと述べ、「二俣山」で射とめた鹿皮を献上している。二俣山は当郷辺りの山々をさすとみられる。貞治元年(一三六二)頃と推定される一〇月一九日、西園寺実俊が熊野山新宮造営料所である遠江国吏務職に関する訴訟を幕府に伝達したが、そのなかに「二俣郷 十二石五斗二升九合」とみえる(「西園寺実俊施行状」熊野速玉神社文書など)。当郷の範囲は明確ではないが、享禄三年(一五三〇)六月二七日の寿桂尼朱印状写(玖延寺文書)に「ふたまた阿蔵むら」とみえ、阿蔵あくら村を含み、天文二一年(一五五二)四月一二日の今川義元判物(光明寺文書)に「二俣光明寺」とみえ、光明こうみよう寺のある山東やまひがしを含んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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