日本歴史地名大系 「二条天皇陵」の解説 二条天皇陵にじようてんのうりよう 京都市:北区小北山村・平野村二条天皇陵[現在地名]北区平野八丁柳町等持(とうじ)院の東にあり、正式には二条天皇香隆(こうりゆう)寺陵という。二条天皇は後白河の第一皇子(母は源懿子)。保元三年(一一五八)、一五歳で即位したが、藤原経宗(生母の兄)や藤原惟方らを重用し、後白河院庁と対立、天皇親政を実現しようとした。永万元年(一一六五)七月二八日、二三歳で二条院で死去した。葬送(八月七日)の夜、延暦(えんりやく)寺と興福(こうふく)寺の大衆が墓所の回りに打ちたてる寺額の順をめぐって争った、いわゆる「額打論」の一件は「平家物語」にも記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by