二条御城廻(読み)にじようおしろまわり

日本歴史地名大系 「二条御城廻」の解説

二条御城廻
にじようおしろまわり

[現在地名]中京区西にしきよういけうち町・小倉おぐら町・勧学院かんがくいん町・小堀こぼり町・式部しきぶ町・職司しよくし町・栂尾とがのお町・南聖なんせい町・西月光にしげつこう町・東月光町・北聖ほくせい町・星池ほしがいけ町〉

二条城の南西方にあり、東は上京の町地、南は壬生みぶ村、西は西京にしのきよう村、北は西京村聚楽じゆらく村・上京の町地にそれぞれ接する。

平安時代の条坊では、大内裏内の一部南地域、左京三条一坊の西側、右京三条一坊の東側及び西南地域にあたる。平安時代、平安京の穀倉こくそう院が二条の南、朱雀の西の地にあって、畿内諸庄の産物を納めていた。

近世に至るまでこの地に集落はなく、元禄一三年(一七〇〇)の山城国郷帳に「二条御城廻」と高二〇〇石八斗二升九合とある。享保一四年(一七二九)の山城国高八郡村名帳では「三条台村」として高一三九石五斗三升余があげられ、内訳は建仁寺領九八石七斗三升余、大聖寺宮領二石二斗三升余、真性寺領一石三斗八升、西洞院家領一斗四升余、養命坊領一四石九斗九升余、地蔵院領四石三斗二升余、祇園社領七石四斗一升余、南禅寺領三石三斗一升余、普門院領二石五斗、後藤四郎兵衛知行四石四斗八升余となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報