広い土地を所有し,そこに生活する人間集団を支配するには,所有と支配の対象を明確に把握して,適正な管理を行うとともに,外部からの権利侵害に備えなければならない。そのために必要な土地と人間の目録が土地台帳であるが,それは土地所有と結びついた人間支配が行われるかぎり,さまざまな時代と地域で作成された。その中には,所有と支配の対象を確定することに重点がある場合と,それらからの収入の確保を目標とする場合,所有地目録というべきものと,領民リストに近いもの,さらに,国家によって作成されて租税台帳とほとんど変わらない文書と,私人の手による記録,というように,多くの次元での内容的な相違があり,用語法も確定してはいない。日本についても古代から近世までの間に,さまざまな内容の土地台帳的なものがあり,これは〈校田〉〈検田〉〈国図(こくず)〉〈大田文(おおたぶみ)〉〈検注帳〉〈御前帳〉〈郷帳〉〈検地帳〉〈名寄帳(なよせちよう)〉などの項目を参照されたい。近代にはいって土地台帳が設けられたが,これは税務署の所管とされ,地租の課税台帳としての役割を果たしていた。しかし,1950年に従来の地租にあたる固定資産税が市町村税とされ,土地台帳は直接の課税台帳ではなくなり,登記所の所管とされた。そして,60年の不動産登記法の一部改正以後は,土地登記簿(建物登記簿とあわせて不動産登記簿といわれる)に吸収・統一されることとなった(〈不動産登記〉の項参照)。
一般に土地台帳の語で最もしばしば理解されるのは,中世に領主が作成した所領の台帳である。ローマ帝国末期の大土地所有者は,所有地管理と租税徴収義務のため土地台帳を作成しており,中世当初にもその伝統が続いていたといわれるが,現在まで伝来されている記録はきわめて少ない。9世紀のカロリング朝フランク王国では,文書の使用が普及し,さまざまな目録が作られる中で,土地台帳も飛躍的に増加した。有力領主が作成の主体であったが,王権と教会,ことに修道院が作成したもの約20が伝来されており,サン・ジェルマン・デ・プレ,サン・レミおよびプリュムの修道院による大規模な台帳が有名である。記載の範囲と精粗は多様だが,領主直営地と農民保有地,および賦役労働を中心とする農民の負担を,主たる描写の対象として,土地と人間のいずれにも片寄らない記録となっており,土地台帳の一つの類型として,〈所領明細帳polyptyque(フランス語),Urbar(ドイツ語)〉と呼ばれている。しかし,それが現実の静態的な描写なのか,あるいは,領主の構想する所領像の表現であるのか,法廷での挙証能力をもっていたか,カロリング王国でどの程度普及していたか,これらの点をめぐって古くから論争が続いており,史料的価値についても見解が分かれている。
中世盛期にも土地台帳は多いが,領主による支配が多様化するのに伴って,その内容も土地所有を中心とするものと,領民からの収入に重点を置くものに分化してくる。しかし総じて,土地台帳の作成に農民ないし村落共同体が参加するようになり,それに応じて単なる所領管理にかかわる記録ではなく,領主・農民間の権利と義務を確定した法的文書という性格を強めている。中世末期にも同じ傾向が続くが,領主の人間に対する支配権が国家に吸収されてくると,土地台帳も所有地と地代の目録という形態に単純化されることになる。
執筆者:森本 芳樹
農業社会である中国では,土地は古くから為政者の最大関心事の一つであり,歴代なんらかの形で土地の掌握が行われてきた。とくに均田法の行われた時代には,土地の給還をめぐって種々の文書が作られたことが知られている。しかし,土地の状況を全体的に記載した土地台帳というべきものとしては,魚鱗図冊をあげるべきであろう。魚鱗図冊は一定の区域を単位として作成され,はじめに総図をかかげて一筆ごとの区分を図示し,次に一筆ごとに土地の形や四周を示した図と,地番,所在地,地目,面積,税額,所有者,佃作地であれば佃戸(でんこ)の氏名などが記載される。その作成目的は,土地に関連する事項を正確に把握し,戸籍(黄冊)と相まって課税の基礎とすること,および土地関係の訴訟に際して判断の資料とすることにあった(賦役黄冊)。この種の土地台帳は北宋の頃から存在したが,その名称は必ずしも一定されておらず,〈魚鱗冊〉という名は南宋時代から出てくる。明代の洪武年間(1368-98)にはほぼ全国にわたって魚鱗図冊が作成され,その後明・清両代を通じて行われた。
執筆者:岩見 宏
他地域にもみられるように,為政者によって農業生産の実態をつかみ,的確な租税徴収を実施するために検地が行われ,土地台帳が作成された。1298年にマムルーク朝支配下のエジプトで実施されたスルタン,ラージン(在位1297-99)の行った検地の結果作成された土地台帳qānūn al-bilādには,耕地名,耕地面積,農産物の種類とその状態および土地の種類が記載され,それに基づいて軍人たちに土地の分与が行われた(イクター制)。マムルーク朝(1250-1517)の影響を受けたオスマン帝国(1299-1922)では15世紀前半以来,アナトリアとバルカン領土において組織的に検地が行われて土地台帳tapu defteriが作成され,それに基づいてシパーヒーに〈封土〉が割り当てられた(ティマール制)。しかし,大規模な灌漑による集約的な農耕の行われたエジプトとは対照的に,天水にたよる粗放な乾地農法に基づくトルコでは,検地とはいっても土地測量は厳密には行われず,したがって土地台帳には,耕地名,耕地面積,土地の種類は記載されず,それに代わって耕地を用益する農民たちの名前が,父の名とともに登録され,彼らはおおよその土地保有量に応じて4段階のタイプに分類されている。その中核は1チフトリキ(約6~15ha)の土地を保有する小農民であった。また農作物についてもその生産高や生育状況などについては記録されず,ただ納入すべき税量とその種類とが記入されているだけである。このように,オスマン帝国における土地台帳は,むしろ納税台帳としての性格が強かった。つまりエジプトとトルコの場合にみられる土地台帳の性格的相違は,そのまま両地域における農業生産様式の違いを反映していた。マムルーク朝の土地台帳は現存しないと考えられているが,オスマン帝国における土地台帳は,現在でもイスタンブールの国立古文書館に多数保存されており(最古のものは1431年のアルバニア地方に関する台帳),帝国最盛期の社会経済史研究の基本資料とされている。
執筆者:永田 雄三
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土地の状況を明確にするために、土地の所在・地番・地目・地積などを登録する帳簿。1947年土地台帳法(昭和22年法律30号)によって設けられたが、60年に同法は廃止された。現在では、土地の状況は土地登記簿の表題部に記載されることになっている。
[高橋康之]
…日本近世の村方帳簿の一つ。検地帳に基づいて村ごとに作成された土地台帳。百姓の名まえ別に田,畑,屋敷の石高(こくだか),面積を1筆ごとに記載し,それを合計して百姓別の石高,面積を記帳している。…
… 登記所には,不動産の現況およびこれに関する権利関係を記載するための帳簿として登記簿が設けられる。なお,1960年に不動産登記法(1899公布)が改正されて土地台帳,家屋台帳が廃止されるまでは台帳制度と登記制度が併存し,不動産の現況を把握するものとして土地台帳,家屋台帳(台帳は,もとは課税台帳として税務署に備え付けられていたが,シャウプ勧告に基づく税制改革により,1950年から登記所に移管されたもの)が備え付けられ,登記簿はもっぱら不動産の権利関係を公示するものとされていた。その後,いわば二元的機能の不便等を解消するため,台帳のもっている機能を登記簿に吸収,統合させる一元化が行われ,登記簿に不動産に関する客観的状況および権利関係を公示する機能を営ませることとなった。…
…朝鮮で用いられていた土地台帳。田案,導行帳,鉄券台帳ともいう。…
※「土地台帳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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