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二条城 にじょうじょう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

二条城
にじょうじょう

京都市中京区にある城郭建築。慶長6 (1601) 年から翌々年の間に,徳川家康の宿舎として造営された。平地に築かれた平城で,周囲に堀をめぐらし,本丸は西側にさらに堀で区画されている。本丸の天守は寛延3 (1750) 年の雷火で,本丸御殿その他の櫓 (やぐら) などは天明の大火 (88) で焼失した。

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デジタル大辞泉の解説

にじょう‐じょう〔ニデウジヤウ〕【二条城】

京都市中京区にある城。慶長8年(1603)徳川家康が京都の守護および上洛(じょうらく)時の居城として築城。天守や本丸御殿は焼亡したが、二の丸御殿(国宝)は桃山時代書院造りの形態を伝え、狩野派の画家による障壁画とともに重要な遺構。平成6年(1994)「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産文化遺産)に登録された。

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百科事典マイペディアの解説

二条城【にじょうじょう】

京都市中京区二条城町にある平城。徳川家康が上洛の際の居館として造営したもので1603年完成,1626年に後水尾(ごみずのお)天皇行幸(ぎょうこう)のため本丸,二の丸を改造。
→関連項目上京・下京京都[市]京都町奉行古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)書院造障壁画徳川秀忠中京[区]

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世界大百科事典 第2版の解説

にじょうじょう【二条城】

関ヶ原の戦後,徳川家康がそれまでの聚楽屋敷(聚楽第の東にあった)に代わる京都の宿館として築いた城。1601年(慶長6)に敷地を定めて町屋を移転させ,畿内の大名に造営費を課し,翌年に普請を行った。敷地は上京と下京の中間に位置し,方4町の広さをもった。堀川通りに面して東大手門を,北と西にも門を開いた。四周は水堀と石垣で囲い,その中に聚楽屋敷の建物を移築して,五重の天守をあげた。03年2月将軍宣下をうけた家康は,3月21日に入城。

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大辞林 第三版の解説

にじょうじょう【二条城】

京都市中京区にある城。1603年、京都の警衛と上洛の際の宿所のために徳川家康が創建。二度の火災で、天守・本丸を焼亡。二の丸御殿に桃山時代の様式をもつ書院など、江戸初期の遺構を残す。二の丸庭園は小堀遠州の作。

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日本の城がわかる事典の解説

にじょうじょう【二条城】

京都府京都市中京区にあった江戸時代の平城(ひらじろ)。国指定史跡。二の丸御殿が国宝、そのほか22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画が重要文化財に、二の丸御殿の庭園が国の特別名勝に指定されている。また、ユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」の一部として登録されている。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。二条城と名づけられる京都市街の城は歴史的に4つあるが、城跡として現存する二条城は、徳川家康により1602年(慶長7)に築城が開始され、翌年に完成したものである。家康は完成間もない二条城で将軍就任の祝賀式を行い、その後、江戸幕府を開いた。以後、歴代の将軍が上洛した際の宿所として利用され、1626年(寛永3)には後水尾天皇による行幸が行われた。このとき、大規模な城の改修が行われ、豪勢な御殿や庭園が造営された。幕末には、第15代将軍の徳川慶喜大政奉還が行われた。その意味では、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもある。二条城には伏見城(京都市)から移築した5層の天守があったが落雷により失われ、その後、再建されることはなく、天守台の石垣だけが今日まで残ることになった。城内には、1896年(明治29)に完成した洋風庭園の本丸御殿庭園、小堀遠州が作庭した桃山様式池泉回遊式庭園である二の丸御殿庭園、1965年(昭和40)につくられた和洋折衷の清流園の3つの庭園がある。JR東海道本線東海道新幹線京都駅から地下鉄東西線に乗り換え、二条城前駅下車。または京都駅前からバス。

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国指定史跡ガイドの解説

にじょうじょう【二条城】


旧二条離宮〈二条城〉(きゅうにじょうりきゅう)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

二条城
にじょうじょう

江戸期の城。京都市中京(なかぎょう)区二条通堀川(ほりかわ)西入ルにある。戦国期にも二条城があり、江戸期の二条城とは位置が異なっている。戦国期の二条城は、1569年(永禄12)織田信長が将軍足利義昭(あしかがよしあき)のために築いたもので、場所は現在の京都御所の西隣、勘解由小路室町(かげゆこうじむろまち)で、北は出水(いずみ)通り(近衛(このえ)大路)、南は椹木(さわらぎ)町通り(中御門(なかみかど)大路)の線、東は烏丸(からすま)通り、西は新町通りの線に囲まれる範囲であったと推定される。義昭は1573年(天正1)追放され、城は信長によって焼き払われた。信長は1576年から新しい築城工事を始め、1579年ごろに完成し、誠仁(さねひと)親王に与えられ、二条御所の名でよばれていた。1582年の本能寺の変のとき、妙覚寺にいた信忠(のぶただ)(信長の長男)が入って防戦したのはこの二条御所のほうであった。場所は押小路室町(おしのこうじむろまち)で、妙覚寺の東隣である。
 江戸期の二条城は、初め徳川家康によって築かれた。名目は上洛(じょうらく)の際の宿所であったが、洛中に築城した信長(二条城・二条御所)、秀吉(聚楽第(じゅらくだい))の先例に倣ったものとみられるし、また将軍になることを予想し、将軍宣下(せんげ)を受ける場所を築いたものということができる。1601年(慶長6)築城の命令が出され、翌年にはほとんどできあがっている。場所は現在の二条城の二の丸部分で、5層の天守閣も築かれていた。ついで1624年(寛永1)3代将軍家光によって拡張工事が始められた。1626年にかけて現在の二条城の二の丸西側、本丸部分が拡張され、現在みられる規模になったのである。このあと、後水尾(ごみずのお)天皇の行幸が行われている。1750年(寛延3)に天守閣が落雷により焼失、1788年(天明8)には本丸御殿も焼失してしまった。現在本丸にある本丸御殿は1896年(明治29)桂宮(かつらのみや)殿舎を移したものである。二の丸御殿は、遠侍(とおざむらい)、車寄(くるまよせ)、式台、大広間、蘇鉄之間(そてつのま)、黒書院(くろしょいん)(小広間)、白書院(御座の間)(以上国宝)、台所、唐門などからなる完全な城郭御殿の遺構であり、そのほかに、東大手門、西大手門、北大手門、隅櫓(すみやぐら)(東南隅櫓、西南隅櫓)などの遺構がある。家光が1634年(寛永11)に上洛してからのちは、14代将軍家茂(いえもち)が上洛するまで歴代の将軍は上洛せず、城代(じょうだい)が置かれていた。1867年(慶応3)この城で15代将軍慶喜(よしのぶ)が大政奉還の上表を行っている。1884年(明治17)二条離宮となり、1939年(昭和14)京都市に下賜され一般に公開されることになった。城は本丸とそれを取り巻く二の丸だけの単純な縄張りで、居館風城郭の形状を示している。
 二の丸御殿は聚楽第の遺構を移したものとの伝承があったが、修理調査の結果、1624~44年(寛永1~正保1)の大改築の際に築かれたものであることが明らかになった。しかし、唐門、遠侍、式台、大広間、蘇鉄之間、黒書院、白書院の諸建物が連なる形式は、大規模な桃山時代書院造の形態を伝えている。建物の内部には障壁画が多数描かれており、白書院は狩野興以(かのうこうい)、黒書院は狩野尚信(なおのぶ)と、探幽(たんゆう)を含む狩野派の画家によるものである。庭園は特別名勝に指定されており、慶長(けいちょう)の創建時の作庭とみられ、小堀遠州(こぼりえんしゅう)の作ともいわれている。遠州作との確証はないが、江戸時代を通して手が加えられてはいるものの、江戸初期の代表的な庭園であることは間違いない。二条城は1994年(平成6)、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。京都の文化財は清水寺など17社寺・城が一括登録されている)。[小和田哲男]

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世界大百科事典内の二条城の言及

【江戸時代美術】より


[桃山様式の終結と転換]
 確立したばかりの徳川幕藩体制は,その豊かな財力にものをいわせ,権威の荘厳のため,これまでに増して大規模な城郭や霊廟を営んだ。二条城二の丸御殿(1624‐26)はその代表的な遺構の一つであり,内部を彩る狩野探幽一門の障壁画の巨大な松の枝ぶりが長押(なげし)の上にまで延びて金地に映える壮観は,安土城以来の武将の理想の実現といってよい。だが,そうした障壁画や欄間の透し彫には,桃山美術の持つ潑剌とした感覚が薄れ,代わって格式張った荘重な雰囲気が強調されている。…

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