五ヶ村堰
ごがむらぜき
稲庭の西、皆瀬川に架かる岩城橋の川上の八郷河原から取水し、河岸段丘に沿って北流、皆瀬川右岸の稲庭・三梨・川連・大館・八面・三又の田地を潤す。
開削年代等は定かでないが、稲庭・川連の地は小野寺氏の拠点として中世から高い生産力を有しており、すでに五ヶ村堰が貫通し開田が進んでいたものとみられる。「梅津政景日記」元和六年(一六二〇)三月二五日条に「三梨、川連ノ給人衆、関奉行申請度由被申候(中略)此関ハ三四千石ヘ掛候水ニ候間、其給人談合致候ヘハ、公儀より検使迄ニ無之候ヘ共、此度ハ関場破、稲庭ノ内堀候」と堰の古さを伝える。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 