五之里遺跡(読み)ごのりいせき

日本歴史地名大系 「五之里遺跡」の解説

五之里遺跡
ごのりいせき

[現在地名]野洲町五之里・富波乙

五之里集落とその南側一帯に広がる集落遺跡。昭和四九年(一九七四)からの発掘調査により、弥生時代末から古墳時代初頭にかけての竪穴住居・掘立柱建物・方形周溝墓などを中心に、平安時代にかけての多くの遺構が確認された。遺跡東寄り富波乙とばおつ山路やまみち地区からは、弥生時代末から古墳時代初頭の竪穴住居跡が六基(いずれも隅丸方形の平面形をもつ)が発見され、これに近接して倉庫とみられる掘立柱建物跡五棟が立地する。隣接する久野部くのべ遺跡や下々塚げげつか遺跡などから発見されている掘立柱建物を伴った竪穴住居群と同系統のものとみられ、野洲地域における弥生時代末から古墳時代初頭の時期の集落を構成する単位集団のあり方を示すものとして位置づけられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 山路 墓地

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む