竪穴住居(読み)タテアナジュウキョ

デジタル大辞泉 「竪穴住居」の意味・読み・例文・類語

たてあな‐じゅうきょ〔‐ヂユウキヨ〕【×竪穴住居】

地面を数十センチ掘り下げた面を床とする半地下構造の家。日本では縄文時代弥生時代に盛んで、古墳時代以降しだいに消滅した。アジア・アメリカの寒冷地帯では最近まで使用。竪穴式住居

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改訂新版 世界大百科事典 「竪穴住居」の意味・わかりやすい解説

竪穴住居 (たてあなじゅうきょ)

地面を直接掘りくぼめて床とし,そこへ屋根をかけた半地下式の住居。穴居生活の跡として考えられていた横穴に対して,1800年代の終りころに名付けられた。この種の住居は,夏は涼しく,冬は保温に富み暖かである利点がある反面,土間が湿潤になりやすい欠点がある。そこで,低地に設ける住居として,半地下式にするのではなく,地表を床面としてその床の周囲に土堤をめぐらせて水の流入を防ぎ,そこへ屋根を伏せた平地住居とも呼ばれるものも,ところにより採用されている。竪穴住居は先史時代には世界中どこでも一般に採用されており,標準的な住居形式であった。旧石器時代のヨーロッパ大陸では,自然にできた石灰岩の洞窟を利用して住居とするのが普通であったが,その後期ころから竪穴住居を営むようになった。そして新石器時代に入ると各地でさまざまに発達した。

後期旧石器時代オーリニャック文化にあたるチェコスロバキアのドルニ・ベストニツェ遺跡では,大小の竪穴住居が見つかり,大は15m×9mの楕円形で,共同家屋と考えられている。小は径6mの円形で,傾斜面にあるため,高い方の地面を削り,低い方は粘土と石で弧状に盛り上げており,中央に炉がある。周縁に5本の主柱を立てて小枝で支え,上にマンモスの骨や皮,木材,草などで造った屋根をのせていたと考えられる。同後期グラベット文化に属するロシアのドン川右岸にあるコスチョンキ遺跡群のなかには,27m×8mの長楕円形の竪穴住居があって,中央に9基の炉が長軸に沿って2~3mの間隔をおいて設けられていた。ほかにも34m×23mという大型のものや径5~6mの不整円形の竪穴住居もある。同じ後期のウクライナのメジリチ村で発掘された住居は,竪穴ではないが,床の直径6mで炉は中央にある。95個のマンモスの頭骨を積み重ねて床を囲い,屋根はマンモスの大腿骨や牙を用いて高さ約3mのドーム形に覆い,竪穴同様の家屋を造って寒さや外敵から身を守っていた。

 ヨーロッパの新石器時代ダニューブ文化期に属する,ドイツのケルン近郊にあるケルン・リンデンタール遺跡は,村落構造がよく復原された代表例である。そこでの一般的な住居は,大型の長方形平面で屋根は切妻,編枝塗壁を立ち上げ,杭の上に低い床を張った一種の高床住居であった。また一部に土間を設けて家畜を飼育していた。しかし一方では竪穴住居も採用されていたが,その大きさや形態は一定していない。エジプトでは,楕円形や馬蹄形につき固めた床の周囲に杭を立て,葦のむしろで囲ったり,練土で囲った上にむしろをかけて屋根とした平地住居であり,床に炉がつくられている。

中国の新石器時代では,竪穴は黄河流域の彩陶文化として有名な仰韶(ぎようしよう)文化期に始まる。その初期の廟底溝遺跡では,竪穴の床は1辺約7mの方形で,深さ50cm余を掘り下げ,南辺中央に屋外からスロープで下る入口をつけている。竪穴の周壁外に60~70cm間隔に柱を垂直に立て,その間を土で塗り壁をつくる。床はすさを混ぜた泥で塗り固め,4本の柱を掘り立てて寄棟の屋根を支えていた。入口を入ったところに炉が設けられている。このような方形平面の竪穴住居は,同文化の半坡遺跡にもあり,12m×10mという大型で,床の4本柱は長いが外周の柱と壁は低く,屋根は地面まで葺き下ろしていたと考えられる。また同時に,径6m前後の比較的小型で円形平面の竪穴住居もあり,円錐形の屋根を地面まで葺き下ろしたものと,周壁で支えて地面まで葺き下ろさないものの両者の存在が考えられている。方形・円形平面の竪穴住居のなかには,柱と壁で間仕切りをしたものもある。このような住居で構成する集落の一部には灰坑と呼ばれる貯蔵用の穴倉(日本では,その縦断面が底の広がったきんちゃく形をしていることから袋状竪穴と呼んでいる)が付属している。続く竜山期にも小規模な竪穴住居は引き続き造られ,それらは床に石灰を敷き固めるのを特徴としている。これらは殷代にもその後期まで受け継がれている。
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日本の旧石器時代の住居は,洞窟や岩陰など,自然の覆屋を利用したが,多くの人々は,丘陵や段丘上の平たん地に小屋を建てて生活していた。平地に小枝を環状に配して浅く地面に突き立て,上方でまとめて円錐形の骨格を造り,草や土で覆ったのがこの時代のすまいで,これらも平地住居とよばれる。このような住居は,約8000~9000年前ころ,土器を使う縄文時代早期に入ってもなおすまいの主流であったが,これを発展させ,床面を掘り下げて屋内空間を広げ,より安定した構造をもつ竪穴住居も建ち始め,しだいに多くなる。

しかし,縄文時代における竪穴住居址の分布は中部地方から東に偏在し,西日本では九州地方の早期と後・晩期に若干認められるだけできわめて少ない。ただし,西日本では縄文時代全期を通じて遺物の出土が認められ,住居は痕跡を残さないだけで,旧石器以来の平地住居が西日本の縄文時代住居として,急峻な尾根上や狭小な河岸・海岸段丘上に集落が営まれた。縄文時代早期の竪穴住居は,不整形平面から方形・長方形平面に整い,構造的にはより大きな空間を造るために1~2本の支柱や,合掌あるいは三脚を組んで棟木を支持するようになる。北海道では早期の段階で主柱4本が成立して,竪穴住居の基本形式ができあがっているが,一般的には早期末以降に主柱を採用し,竪穴を深くして屋内空間を広げ,屋内に炉を取り込んで,雨季・寒季に十分耐え得る住居が造られた。

 縄文時代前期には,長方形平面から円形,楕円形に近い多角形平面に,壁柱方式から壁柱なしに変化し,構造的には大壁構造から,屋根の地上葺き下ろしへ変化する。中期末から後期にかけて竪穴住居の平面形は円形に変化し,再び壁柱が復活して円筒形の大壁を側壁とし,円錐形の屋根をもつ住居が出現する。後期末から晩期にかけて,平面形は円形から方形に再び変化し,規模の大小にかかわりなく主柱4本,大壁構造の建物が成立する。縄文時代には建物の機能分化も認められ,前期末から中期にかけて竪穴の長辺が10mを超す超大型住居,いわゆるロングハウスが出現し,集落の中心にあって集会等の公共的な用途に使用された。中期末から後期にかけての張出しをもつ柄鏡形敷石住居や,北陸地方晩期の巨大建築(半割円柱を平面円形に配置し,出入口に張出しを設ける)は祭祀用と考えられる。

縄文時代後期末から,晩期初頭にかけて成立した主柱4本の形式は,弥生時代以後の東国の主流となるが,壁柱は弥生時代に入ると消滅し,屋根は再び地上葺き下ろしにもどる。縄文時代には東国に偏在していた竪穴住居は,弥生時代に入って全国的な広がりで隆盛に向かうが,それは米作の普及にともなう食糧の安定供給と人口増加,村落共同体の成立,鉄製農工具の普及による土木・建築技術の向上,耕作地・居住地の拡大など,社会全体の発展によるところが大きい。しかし,西日本に普及した竪穴住居は東国の4本主柱型とは異なって,平面形は主柱本数に応じた円形に近い多角形平面を示し,土地有効利用のために同位置でひんぱんに建替えを行うなど,縄文時代中期的な様相を示し,東日本・西日本文化の違いを根強く保つ。しかし弥生時代後期に入ると全国的に方形平面が多くなり,古墳時代には方形平面主柱4本にほぼ統一された。竪穴住居の全国的な普及は古墳時代末までで,6世紀ころからまず畿内先進地域の集落は,竪穴住居から掘立柱住居に変わる(掘立柱建物)。この変化は西日本では急速に広まるが,東日本では,中部・東海地方は8世紀,関東地方は10世紀ころ,東北・北海道の寒冷地帯や中部山岳地帯は13世紀ころまで竪穴住居の集落がみられる。

竪穴住居の施設としてまずあげられるのは炉である。縄文時代の北海道などでは,屋内炉よりも屋外炉を主として用いる。屋内炉の形式は地床炉が最も多く,石囲炉,埋甕炉,石囲埋甕炉などの形式があり,東北地方には石囲炉と埋甕を組み合わせた複式炉が発達している。弥生時代には地床炉のみになり,古墳時代中期の5世紀に入って竈(かまど)が造り付けられ,古墳時代後期以降全国的に普及する。出入口は,縄文時代は一般的には住居の長軸線上の一方に炉を片寄せ,反対側に入口を設ける。入口側の竪穴側壁には埋甕,入口支柱1~2本をもつ例がある。弥生時代中期には,入口支柱に梯子の下端を添えた痕跡を残す例がある。北海道では縄文時代早~前期と続縄文期,関東地方では縄文時代中・後期にみられる張出し部も,出入口施設である。貯蔵穴は縄文~弥生時代を通じて出入口脇に設けることが多いが,その位置は必ずしも定まっていない。古墳時代に竈が出現すると,竈と反対側壁面の中央またはコーナーから,しだいに竈の左または右側に設けるようになる。

 竪穴側壁に沿って主柱~側壁間にベッド状遺構と称する二段式床を設ける例がある。北海道では縄文時代前期後葉から中期にかけて,関東地方では古墳時代後期に,西日本では弥生時代中期から古墳時代前期に多い。縄文時代から弥生時代にかけてのベッド状遺構は,四方または三方を囲い,九州南部の弥生中期には四方に拡張してベッド状遺構を設けた花びら形の特異な平面形をもつ例がある。内部床面より5~10cm高くしてあり,その用途として寝台用,収納施設,祭壇などが考えられる。古墳時代には竪穴の一方または二方だけに寝台として独立する。竪穴床面の排水処理施設として周溝や排水溝がある。貯蔵穴や床面中央のピットは貯蔵穴としての機能や雨季排水用にも利用され,周溝や中央ピットから竪穴外に排水溝を設ける例が高温多雨な西日本に多い。大型竪穴住居には壁面を樹皮やむしろで覆って杭で留め,あるいは矢板で化粧する例がある。屋根葺き材は北海道や東北地方では全期を通じ土葺きが主であり,関東以西で草葺き屋根が普及するのは弥生後期以降で,竪穴住居が全国的に方形平面に統一されるのも草葺き屋根の普及による。
住居
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百科事典マイペディア 「竪穴住居」の意味・わかりやすい解説

竪穴住居【たてあなじゅうきょ】

家屋の床面を地表下に作った住居。地面に底面を平たんにした穴を掘り,上部に屋根を構築したもの。中石器時代にはヨーロッパ,新石器時代になると世界各地に見られ,日本では縄文(じょうもん)〜古墳時代の主要な住居形式であり,東日本では歴史時代まで使われた。円形・楕円形プランのものと方形プランの2種があり,径5m大のものが普通である。縄文中期ごろから中央に土器を埋め込んだり,石で囲んだ炉が出現。弥生(やよい)時代になって周囲に濠(ごう)をめぐらせることも行われた。
→関連項目阿久遺跡伊治城井戸尻遺跡群姥山貝塚久ヶ原遺跡釈迦堂遺跡縄文時代真福寺貝塚タルドノア文化中石器時代尖石遺跡堀之内貝塚

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「竪穴住居」の意味・わかりやすい解説

竪穴住居
たてあなじゅうきょ

地面を円形や方形に数十センチメートル掘りくぼめて、垂直に近い壁や平らな土間(どま)の床をつくり、その上に屋根を架した半地下式の住居である。おもに考古学的調査で発見され、日本では旧石器時代から中世まで使われた主要な住居様式の一つである。一般的には、一辺あるいは径が数メートルで、床面積が20~30平方メートルの、一家族が住むのに適当な広さをもつ。内部には数本の柱穴(ちゅうけつ)のほか、炉(ろ)、かまど、貯蔵穴(けつ)、溝、工房などの付属施設や、時代や地域によっては埋甕(うめがめ)、石棒、石壇(せきだん)などの宗教的遺構が付随することもある。

 旧石器時代から縄文時代初頭にかけては、まだ移動生活が多く発見例は少ないが、縄文早期中ごろからは定住化が進み、とくに東日本を中心に竪穴住居は発展する。最盛期の縄文中期には、数世代にわたる100軒を超える竪穴住居群が環状集落を形成する遺跡も少なくない。なかには床面積が100平方メートルを超える大型住居、平石を敷き詰める敷石(しきいし)住居、宗教的遺構・遺物を多出するなどの一般住居以外の例もある。弥生(やよい)時代から古墳・奈良時代になると西日本でも普遍化し、平安時代にはプランが方形に、炉がかまどに統一されるなどして中世まで続く。

 夏涼冬暖という日本的風土に適した利点や、建て替えの容易さもあるが、多湿や上屋構造材の耐久度とか火災になりやすい難点もある。最近では建築学的な研究も進んでいるが、時代や地域による多様なその変化・変遷は今後の研究にまつ点が多い。

[樋口昇一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竪穴住居」の意味・わかりやすい解説

竪穴住居
たてあなじゅうきょ

大地を掘下げ,住居の床の部分を地表面より低くした,半地下式の住居をいう。主として新石器時代,ヨーロッパ,アジア,アメリカの各地で行われた。日本では,縄文時代早期から古墳時代までは普遍的に使われ,一部では近世にいたるまで続いている。中国では,仰韶文化竜山文化,殷,西周にその存在が知られる。ヨーロッパでは,ドン川流域のコスティエンキ,フランスカンピニー遺跡タルドノア文化遺跡,中部ヨーロッパのドナウ文化遺跡などから竪穴住居址が発見されている。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「竪穴住居」の解説

竪穴住居(たてあなじゅうきょ)

地を穿って地下に家屋の床面を設けた居住用家屋。まず所要の広さに穴を掘り,床面を平らに整え,屋根を設ける。床面にはその多くに炉,柱穴があり,あるいはまわりに周溝を有するものも存する。夏涼しく,冬暖かいが,湿気も多い。新石器時代,この種の住居は各地で行われた。初現は旧石器時代にあるとさえいわれ(ドン川流域ガガリノ),中石器時代には確実に存在した(フランス,タルドノワ遺跡,カンピニー遺跡)。中国では,西安市半坡(はんぱ)遺跡,日本では縄文時代からあり,地方によっては平安時代まで存続した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「竪穴住居」の解説

竪穴住居
たてあなじゅうきょ

床面を地表より下につくった住居
縄文草創期に現れ,平安・鎌倉時代まで存続する。地面に穴を掘り,底面をたいらにして床とし,上部に屋根をかけたもの。床面に炉跡・柱穴などがあり,周溝のめぐっている場合もある。

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防府市歴史用語集 「竪穴住居」の解説

竪穴住居

 家の床を地面に掘って作った建物です。炉やまわりに溝の掘ってある住居もありました。夏はすずしく、冬はあたたかいのですが、湿気が多かったようです。

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旺文社世界史事典 三訂版 「竪穴住居」の解説

竪穴住居
たてあなじゅうきょ

地面に竪穴を掘り,柱の上に草ぶきの屋根をふいた住居
新石器時代以後のもの。

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世界大百科事典(旧版)内の竪穴住居の言及

【古代社会】より

…採取,狩猟および漁労などの労働は集団労働として行われており,この集団は特定の地域にかなりながく定着して居住するようになった。先土器時代の人々が,ほとんど住居跡らしいものを残さなかったのに対して,縄文時代の人々は竪穴住居からなる集落跡を多数残したのである。その竪穴住居は時期や地域によっても異なるが,6~12棟ぐらいで一つのグループをなし,それぞれのグループは環状につらなってつくられている。…

【住居】より

…北アジアから北西アメリカに見られる土で覆われ密閉された半地下式住居pit houseは,厳寒の冬への適応から生まれたものであり,その支柱や入口のつくり方にも積雪への配慮が認められる。一般に,竪穴住居は北の寒い地域に源をもつとされる。一方熱帯では,おおむね2通りの耐暑法が認められる。…

【縄文文化】より

…やや冷涼な気候をしのぐためであったという説もあるが,むしろ自然の狭い空間でまにあう規模の小集団であったこと,あるいは集団生活に空間的な間仕切りを必要としなかったことなどの社会的な意味が重要である。やがて早期になると地面を掘りくぼめて土間を作り,掘立柱構造に上屋を架けて四周に壁をめぐらした竪穴住居を台地上に営むようになる。竪穴住居を単位とする,例えば夫妻・子どもという核家族が,おのおの主体性をもちながら複数が寄り合って集落を形成したことを意味する。…

※「竪穴住居」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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