五之里村(読み)ごのりむら

日本歴史地名大系 「五之里村」の解説

五之里村
ごのりむら

[現在地名]野洲町五之里

富波沢とばさわ村の西にある。集落は周囲の水田より約一メートルの微高地にある。古代条里では九条五里にあたり、村名はこれに由来する。明治六年(一八七三)の地券図(五之里共有)には六町四方の典型的な条里村落の景観が描かれている。天正一九年(一五九一)四月の徳川家康知行目録写(大谷文書)に五里とみえ五二三石余。


五之里村
ごのりむら

[現在地名]大野町五之里

南方みなみがた村の南西に位置する。地名は古代の条里遺構を示す。中世五里ごのり郷として推移する。天正一一年(一五八三)七月日の稲葉一鉄初尾奉納目録写(稲葉家譜)に給人方として「弐百疋 五ノ里東北院、同表佐籠ノ内 古江賀兵衛」とみえる。慶長郷帳に村名がみえ、高一千九四石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では西尾嘉教(揖斐藩)領。正保郷帳では田九八六石余・畑一〇八石余のうち旗本西尾盛教領一六九石余・同徳永昌成領九二五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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