五十目庄
ごじゆうめのしよう
馬場目川の谷口に成立した自然村落一二村に冠した広域地名。慶長六年(一六〇一)の秋田実季侍分限(秋田家文書)に「五十目庄之内」として、「樋口村之内、上町村・下町村・山田村・富田村・おうなこ村」があり、「五十目郷内」として「高崎村・窪村・館越村・湯俣村・観音堂村・豊口村」がある。
五十目庄・郷一二村が、一六世紀末に山内城・砂沢城に拠った五十目姓を名乗る豪族の支配の及ぶ領域であった。一二村のうち「上町村」と「下町村」は現上町・下町で文禄(一五九二―九六)の頃から始まったという伝承をもつ定期市が、藩政期を通じて開かれ現在に及んでいる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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