南秋田郡(読み)みなみあきたぐん

日本歴史地名大系 「南秋田郡」の解説

南秋田郡
みなみあきたぐん

面積:五八一・八四平方キロ(境界未定)
天王てんのう町・昭和しようわ町・飯田川いいたがわ町・井川いかわ町・五城目ごじようめ町・八郎潟はちろうがた町・大潟おおがた村・若美わかみ

県中央部に位置し、男鹿おが半島の東、出羽丘陵の西にあたり、八郎潟のほぼ全域を含む。北は筑紫ちくし岳・高岳たかおか山・もり山の丘陵を境にして山本郡に接し、南は秋田市、東は北秋田郡に接する。地形的には八郎潟東岸の湖東平野と出羽丘陵西端部からなり、出羽丘陵を源に西流して八郎潟に注ぐ馬場目ばばめ川・川・ゆたか川・馬踏ばふみ川などがある。

現在の郡名は明治一一年(一八七八)の郡区町村編制法により、古代からの秋田郡が南北二郡に分けられた時に始まる。

〔原始〕

西の寒風かんぷう山麓の台地および砂丘地帯と、湖岸東部の馬場目川河岸段丘、井川・豊川沿いの段丘地に遺跡が多い。

寒風山麓の若美町角間崎かくまざき遺跡は縄文前期の貝塚遺跡で、多数の貝殻や骨角器を出土、北に隣接する志藤沢しとざわ遺跡は籾痕付着の土器が発見された続縄文期の遺跡である。湖に沿って北に延びる台地上には縄文期の遺跡、須恵器窯跡遺跡など二十数ヵ所がある。

湖東部馬場目川流域の五城目町高崎たかさきには中山なかやま遺跡があり、縄文晩期の滑車形耳飾や遮光土器・土偶を出土。井川中流の井川町新間あらまの新間遺跡は弥生遺跡で籾痕土器を伴い、対岸の志藤沢遺跡と対比される。

豊川流域の河岸段丘上には、土器にアスファルトの付着する遺物を出土する鳥巻とりまき遺跡(昭和町豊川槻木つきのき)があり、近くには明治三八年に旧象歯化石・哺乳類骨・鯨骨化石などを出土した真形尻まかたじり遺跡(蘭戸下らんどした遺跡)がある。湖岸最南端部の砂丘地にある昭和町大久保の狐森おおくぼのきつねもり遺跡からは人面付環状注口土器が出土。

〔古代〕

馬場目川流域の五城目上樋口かみとよぐち岩野山いわのやま古墳群があり、蕨手太刀・毛抜形太刀・勾玉・石帯などを出土、北に接する雀館すずめだて麓に古代井戸跡があり、平安期の集落跡と考えられる。

馬場目川下流左岸の同町石崎いしざきには石崎遺跡があり、水田中から柵木・柱などを出土、古代郡衙跡と推定される。

「三代実録」元慶二年(八七八)四月四日条に「去月十七日上奏(中略)授以精兵、入城合戦、夷党日加、彼衆我寡、城北郡南公私舎宅、皆悉焼残、殺虜人物不勝計、此囲器仗多在彼城、挙城焼尽」とあり、元慶の乱の様子を記すが、この上奏文の「城北郡南」は秋田城以北・秋田郡衙以南で、すなわち馬場目川以南から秋田城までの地域をさすものと推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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