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五十里炭屋町(読み)いかりすみやまち

日本歴史地名大系 「五十里炭屋町」の解説

五十里炭屋町
いかりすみやまち

[現在地名]佐和田町沢根炭屋さわねすみや

南は海岸、西は田中たなか村、東は窪田くぼた村。集落は海岸近くに並ぶ。町は慶長六年(一六〇一)佐渡代官の田中清六が五十里湊を開き、ここに鉱山で使用する他国産・佐渡産の鍛冶炭を陸揚げさせたことによって成立。当地に炭商人たちが集住したのであろう。当地で海に注ぐ荒町あらまち川の名称も新しくできた町、新町あらまちの意であろう。慶長九年から同一七年の間に佐渡の手代岩下惣太夫から当時駿府すんぷ(現静岡県静岡市)にいた大久保長安の代官戸田藤左衛門宛書状や炭渡帳・蝋燭渡帳その他の書状で構成される川上家文書(川上二六氏蔵)によると、大久保長安による鉱山経営のときにも当地で大量の炭の引渡しが行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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