五戸館跡(読み)ごのへだてあと

日本歴史地名大系 「五戸館跡」の解説

五戸館跡
ごのへだてあと

[現在地名]五戸町 館

五戸町の中心市街地の北、五戸川右岸の丘陵地の末端に位置する。東は沢に臨む断崖、西は丘地続き、南は沢、北は五戸川に臨む断崖となる。東の沢地との比高約一五メートル。慶長三年(一五九八)の館持支配帳に「一五戸館三百石 二ツ巴三ツ巴木村 杢」とあり、木村氏が居館した。別名木村きむら館。築城の年代は五戸町の街地が築造された天正末年から慶長初年にかけてとみられ、五戸月山八幡宮建立(五戸町誌)に慶長二年に当館の北東ふる館に館番を置くとあることから、この頃には完成していたとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む