日本歴史地名大系 「五戸村」の解説
五戸村
ごのへむら
五戸川の中流左岸の沖積低地と右岸の丘陵地に位置する。東は
寛元四年(一二四六)の北条時頼下文(常陸宇都宮文書)に「糠部五戸」とみえ、平盛時が地頭代職に補任されている。建武二年(一三三五)には足利尊氏により三浦介平高継に「糠部内五戸」が恩給されているが(「三浦介高継知行状」同文書)、これらは藩政期の五戸村を含む総称地名で、五戸郷にあたる地域をさすものであろう。鎌倉時代の中心集落は永仁五年(一二九七)の五戸郷検注注進状(新渡戸・岩大文書)にみえる「せきふくろのかう」の比定地である
戦国時代より三戸南部氏の支配下に入り、
参考諸家系図(岩手県盛岡市中央公民館蔵)や木村系図(木村家文書)などによると、一二代勝秀の代に三子が分立し、長男と三男は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報