朝日日本歴史人物事典 「五条有範」の解説
五条有範
生年:生年不詳
鎌倉前期の武士。世系不明。平氏であるらしい。文治2(1186)年に一条能保の申請で右兵衛尉から左兵衛尉に遷任。一条家の家人であり,御家人でもあった。京で活動することが多く,元久2(1205)年には後藤基清,佐々木広綱らと平賀朝雅の追捕に当たる。検非違使に任じており,五条判官と呼ばれた。建保1(1213)年に従五位下に叙され,同2年に筑後守。この年の鎌倉新御堂供養では将軍実朝に供奉,翌年初めまで鎌倉にあった。後鳥羽上皇との関係が深く,院の下北面・西面の武士に任じられている。承久の乱(1221)では京方につく。いかに戦ったかは明らかでないが,敗北後,7月2日に梟首された。
(本郷和人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報