五条橋東(読み)ごじようはしひがし

日本歴史地名大系 「五条橋東」の解説

五条橋東
ごじようはしひがし

江戸時代、五条通の五条大橋より東の地域をいった。

寛文五年(一六六五)刊「京雀」以後、地誌は五条通洛中部と別に、一項目を立てて扱うのを慣例とする。また寛永版平安城東西南北町並之図などでは清水きよみず通と記している。沿道には東橋詰ひがしはしづめ町・五条橋東二町目橋本上之はしもとかみの(現五条橋東三丁目)仏師ぶつし町・仏師中之なかの町・仏師北側きたがわ(以上現五条橋東四丁目)仏師上之町若宮八幡門前わかみやはちまんもんぜん町・上音羽かみおとわ(以上現五条橋東五丁目)西落にしおち町・遊行前北側ゆぎようまえきたがわ(以上現五条橋東六丁目)、遊行前南側みなみがわ(現遊行前町)などの諸町が位置した。これらのうち、過半を占める橋詰町・五条橋東二町目・橋本上之町・仏師町仏師中之町・仏師上之町・上音羽町・遊行前南側町・西落町の九町は、下京巽組新シ町大仏組に属した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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