五百立神社(読み)いおたちじんじや

日本歴史地名大系 「五百立神社」の解説

五百立神社
いおたちじんじや

[現在地名]奈良市雑司町

東大寺南大門から大仏殿へ行く道の西方、五百立山に鎮座。西麓に一乗院真敬親王墓がある。天喜四年(一〇五六)五月の東大寺起請案(東大寺文書)にみえる「五百余所社」で、現在、手向山たむけやま八幡宮の末社。祭神未詳。「延喜式」神名帳添上そえかみ郡の「五百立神社」に比定される(大和志)。「東大寺続要録」によると、寛喜二年(一二三〇)一〇月、正倉院宝物が盗まれ、鏡八面が大仏殿前の五百余所社に隠されたことがあり、正応二年(一二八九)一月一八日の東大寺修理新造等注文案(東大寺文書)には弘安九年(一二八六)拝殿を修造したことがみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

1969年から続く英国の文学賞「ブッカー賞」の翻訳書部門で、他言語から英語に翻訳された優れた作品に贈られる。翻訳者の仕事を重視し、賞金5万ポンド(約970万円)は作家と翻訳者で折半される。2005年...

国際ブッカー賞の用語解説を読む