井上源之丞(読み)イノウエ ゲンノジョウ

20世紀日本人名事典 「井上源之丞」の解説

井上 源之丞
イノウエ ゲンノジョウ

明治〜昭和期の実業家 凸版印刷社長。



生年
明治12(1879)年11月3日

没年
昭和26(1951)年11月20日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京外国語学校〔明治35年〕卒

経歴
23歳の時印刷所親鸞社を経営、明治38年農商務省嘱託で米国印刷業界を視察。大正9年巴川製紙所社長、12年凸版印刷社長に就任合理化人員整理を強行して「背切り源之丞」といわれた。一方米国のHB特許製版法を導入、カラーオフセット印刷の普及尽力、また凹版彫刻技術を確立紙幣国債などの特殊印刷技法を発展させた。東京印刷工業組合を設立。ほかに東京セロファン紙、東京書籍、日本製紙などの社長も歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上源之丞」の解説

井上源之丞 いのうえ-げんのじょう

1879-1951 明治-昭和時代の実業家。
明治12年11月3日生まれ。38年農商務省嘱託として渡米し,印刷業を視察。大正12年凸版印刷社長となり,関東大震災後の復旧につとめて合理化を断行,カラーオフセット印刷など最新技術を導入する。東京書籍社長などもつとめた。昭和26年11月20日死去。72歳。東京出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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