紙幣(読み)しへい(英語表記)paper money

翻訳|paper money

精選版 日本国語大辞典 「紙幣」の意味・読み・例文・類語

し‐へい【紙幣】

〘名〙
① 紙を素材とする貨幣。流通手段としての貨幣の価値章標の代用物。一般には政府紙幣と銀行券とをさす。紙券。紙札(しさつ)
公議所日誌‐三・明治二年(1869)三月「政府より出す所の手形は、国中にて互に相場を立て売買し、紙幣に異るなし」

し‐べい【紙幣】

〘名〙 葬儀等に用いる紙製の造花。紙花。死花。

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デジタル大辞泉 「紙幣」の意味・読み・例文・類語

し‐へい【紙幣】

素材が紙片である貨幣。一般に政府紙幣銀行券をいうが、狭義には政府紙幣をさす。さつ。
[類語]札びら札束新札新券ぴん札

し‐べい【紙幣】

紙花かみばな1」に同じ。

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改訂新版 世界大百科事典 「紙幣」の意味・わかりやすい解説

紙幣 (しへい)
paper money

貨幣ないし現金通貨について,その素材が金属か紙かによって鋳貨(硬貨)と紙幣に分類する見方がある。この分類によると,紙幣は広義に解されて,政府の発行する政府紙幣(狭義の紙幣)と銀行券(現在は中央銀行の発行する中央銀行券)が含まれる。しかしこの解釈は正確ではなく,政府紙幣と銀行券とは厳密に区分し,たんに紙幣というときには政府紙幣に限定するのがむしろ通説となっている。

 では,なぜ素材面から貨幣の分類が行われたかというと,人間社会の発達とともに貨幣の形態が発達・変化してきたことに関連があろう。すなわち当初,貨幣は素材価値のある物品,とくに貴金属(金・銀)が,それも使用のつどいちいち秤量して用いられていた。その後,貴金属は精錬技術の発達につれて封建王侯によって,ついで国家によって鋳造された。こうして鋳貨が広く流通し,やがて信用制度も発達してくると,国家が発行する紙幣や,信用のある銀行が発行する銀行券が,素材価値を離れてその表示する価値(額面価値)のものとして国民に受け入れられ流通することになった。つまり,貨幣の形態が実体貨幣から名目貨幣へと発達し,広義の紙幣の生成をみるにいたったのである。

さて紙幣を狭義に政府紙幣に限ると,それはおもに財政の赤字を補うために発行されたものであり,この点,後述のように銀行の与信活動の見返りに発行される銀行券と基本的に異なる。その場合,政府紙幣は当初は国民の信頼をうけるために,金銀貨と兌換(だかん)を約束して発行されても,結局は不換紙幣となった場合が多い。欧米で歴史上有名な政府紙幣の例は,フランス大革命のさいのアッシニャ紙幣(1789-96),アメリカ南北戦争のさいのグリーンバックス紙幣(1862-66),第1次大戦のさいのイギリスのカレンシー・ノートcurrency note(1914-28)である。日本では江戸時代の藩札明治維新政府発行の太政官札民部省札開拓使証券などがその代表的な例であるが,比較的最近の例としては太平洋戦争中に補助貨の払底に対処して発行された小額紙幣,軍隊が占領地で軍費支弁のために発行した軍票がある。なお,明治初期の国立銀行紙幣は紙幣を呼称していても銀行券である。これはアメリカの国法銀行券national bank noteにならったものである。それはともかく,政府紙幣はどこの国でも財政赤字を補塡(ほてん)するために発行されたものであり,それがいったん流通に投ぜられると,租税の納入,公債の応募によるほかは政府に自動的に還流しない。しかも政府の紙幣発行は政府にとって安易な財源調達法であり,事実,歴史的にみてもその発行はしばしば過剰になり,その結果,金貨との間に紙幣の減価が生じ,インフレーションの発生を招くことになった。

 現在日本で現金通貨として流通しているのは日本銀行券補助貨幣だけであって,政府紙幣は発行されていない。ただ,補助貨幣は政府が発行する鋳貨であるが,素材価値は低く小口の支払手段として用いられ,実質的には政府紙幣である。これは日本だけでなく,近代的銀行制度の発達した近代国家に共通にみられる。それでは補助貨幣を別にすれば,なぜ中央銀行が独占的に銀行券を発行し,政府紙幣は姿を消したのか。

銀行券

近代的な産業の勃興と銀行制度の発達にともなって,個々の銀行は産業界に貸付け・割引を通じて銀行券を供給し,その返済によってこれを回収した。その後,中央銀行が設立されると,銀行券の発行は市中銀行から中央銀行に集中され,そして中央銀行券は国家から強制通用力を与えられて広く流通することになった。しかし銀行券が中央銀行の商業手形の割引を見返りに供給されるかぎり,手形の期日決済によって中央銀行に還流する。この点,銀行券は前述のように財政上の理由による政府紙幣の発行とまったく異なる。

 現在いずれの国も管理通貨制度のもとで,銀行券は金貨兌換の停止された不換銀行券である。また財政赤字は国債発行によってまかなわれて,政府紙幣の発行によっていない。しかし,もし国債が中央銀行の直接引受けによって発行され,また国債が銀行に引き受けられても,それが中央銀行の買いオペによって大量に流動化される場合には,それによって発行される銀行券は政府紙幣と実質的には変わらないことになる。しかし財政赤字が国債発行によって証券市場において調達されるならば,国債発行に対してひとつの歯止めがかけられることになり,また中央銀行の国債買いオペが金融政策の見地から適切に行われるかぎり,通貨の過大供給によるインフレーションの発生を防止することができる。
執筆者:

世界世界最古の紙幣は中国における漢の武帝(在位,前141-前87)治下の皮幣とされるが,まだ紙の存在しなかった当時獣皮を素材とし徴発の手段として用いられたものと伝えられる。古代カルタゴ,中世アングロ・サクソンにも皮幣があったという。ヨーロッパにおいては政府紙幣の起源よりも銀行券の起源のほうが古いといわれる。中世にあっては,国王の手に造幣主権があり造幣局で鋳造される銀貨・銅貨が主たる通貨として流通した時期においては,後代政府紙幣の発行を必要とするような場合においてはむしろ鋳貨の品質を引き下げ,名目価格を引き上げて収入を得ることが一般に用いられた便宜的な方法であった。元来,紙幣の流通はある程度信用経済が発達するまでは不可能であり,国家の権力をもってしてもその流通がうまくいくように強制することはできない。そこで戦費の調達,王侯の経費補塡などには鋳貨の改悪の方法によらざるをえない。信用経済が発達し,しかも信用券の流通するにいたってのち,これに便乗して政府紙幣の発行が行われるようになる。すなわち信用券は信用経済の成立したところから局地的に自然発生的に生成し,おもむろに一般化していった。しかも銀行券の流通が一般化した地盤の上で,その銀行券との等価流通を強制して政府紙幣の発行が行われ,流通界に送り込まれることが可能となる。もちろん,等価流通の強制下においても両者に価値差の生ずるのは当然であるから,やがては政府自身紙幣を発行することをやめ,発行を必要とする場合には,発券銀行中央銀行)を利用し,まず公債を発行して,これを銀行に引き受けさせ,これを保証準備として銀行券を発行せしめ,所要資金を調達する方法をとるにいたる。

 信用券の発生は相当古く,すでに9世紀中国唐の憲宗(在位805-820)時代に民間に送金を目的とする飛銭または便銭と称する手形の使用があった。10世紀宋代には四川の富豪によって発行された交子(こうし)と称せられる一種の約束手形が携帯に不便な鉄銭に代わって通貨として流通したという。ヨーロッパの銀行券の前駆は,預金の付替えを内容とする振替銀行Wechselbank,Girobankの指図書にみられ,イタリア諸都市,オランダハンザ都市などに設定された銀行のそれである。これらの銀行の信用券は,たんにその受渡しによって鋳貨の受渡しを節約できたという便益のみならず,信用券のほうが現実に流通する鋳貨よりも価値の高い真実の鋳貨(それは現実にはもはや求めがたい場合が少なくなかった)を代表する債権でありうるので,とくにより好みされた。ヨーロッパ諸国の近代的貨幣は1252年創成のフィレンツェのフロリン金貨fiorino d'oroを模範とし,これに準拠して制定されたものが多かったが,当初所定の品位純分を満たして造られた鋳貨も流通中に滅失したり,偽造されたり,のちには政府みずからその実質価値を低くして鋳造することともなり,しかも諸国境を接して内外の鋳貨が混合する状態となれば,取引を行う場合にいかなる貨幣を基礎として評価し支払を行うかをそのつど決定する必要があった。いわんや国を異にする貿易の場合にはなおさらであろう。〈グレシャムの法則〉がうんぬんされだした15~16世紀はまさにそのような時代であったと思われる。したがってこのような状態のもとでは,むしろ現実の鋳貨を受け取るよりも真正の金量を代表する金貨を受領しうる信用券のほうが喜ばれることとなる。こうして振替銀行の設立は主として隔地間の取引の決済や送金を処理するために促されたものであり,1609年設立のアムステルダム銀行のフロリン券florin banco,19年設立のハンブルク銀行のマルク券mark bancoは以上の信用券の代表的なものである。さらに下って17世紀中期以後,イギリスにおいてもロンドンの金匠(ゴールドスミス)が自己に預託された金銀に対して預託者に交付した預証(ゴールドスミス・ノートgoldsmith's note)が第三者間に授受されて実際上銀行券の役割をはたし,これが先駆となって94年にはイングランド銀行が設立され,同銀行の銀行券が一般に流通するようになった。しかも最初は法貨としての資格をもたなかった。

 イングランド銀行券法貨と認められたのは1833年からであり,また初期の同銀行券は最低5ポンドであり,それ以下の小額券の発行は禁止されていた。日常の小売取引には鋳貨が使用され,銀行券はむしろ企業者間の取引の決済に役だたされたのである。1ポンド券の発行は1797年イングランド銀行が支払停止を行った以後である。イギリスにおける金本位制採用(1816)以後の発券制度は1844年のピール銀行法によるものであり,これによって他の発券銀行からのイングランド銀行への銀行券発行権限の集中方針が明白にされ,同銀行の発行部は1400万ポンドの額までは金属準備以外の保証準備による発行を認められるが,その額を超える発行には必ず金・銀鋳貨または地金銀(ただし銀は金の1/4を限度とする)の準備を必要とすることとなった。これがいわゆる保証準備発行額直接制限法で,以後20世紀にはいり,第1次大戦後兌換を停止するまでこの方式を継続した。ちなみにこの保証準備額は既述の〈必要流通額〉にあたるものと判断されたとみられる。もっともピール銀行法の制定については,当時においてもこれを支持するいわゆる通貨主義と,保証準備額を固定する制度に反対する銀行主義の対立があり,前者の勝利によってピール銀行法の制定をみたものであった(〈通貨主義・銀行主義〉の項参照)。19世紀の末以後,各国とも発券制度を確立し,ドイツ,日本等はイギリスの制度を導入したが,アメリカその他ヨーロッパの多数諸国は比例準備法を採用した。これは保証準備額の固定を避けた点で,より多く銀行主義的であるといえる。

日本日本における広義の紙幣の発展史をみると,古くからの記録に残っているものには後醍醐天皇の時代(1319-39)の楮幣(ちよへい),南北朝末期吉野地方の手形(組合札),慶長年間(1596-1615)以後の伊勢の端書(はがき)(羽書),元和年間(1615-24)の大坂の銀七分札(元和札),伊勢の丁銀札,堺の銀札など局地的な紙幣の発行がある。江戸中期以後,諸藩および旗本の封内で通用した国札(藩札),慶応年間(1865-68)以後の幕府の金札の出現によって広範な通用力をもつ政府紙幣の発行をみる。明治維新(1868)以後も新貨幣制度確立まではかえって紙幣発行が増加し,1877年ころまでは各種紙幣がつぎつぎに国内にはんらんした。1868年新政府は従来の銀目を廃止するとともに,十両,五両,一両,一分,一朱の5種の金札(太政官札)を発行し,翌69年二分以下の小額紙幣(民部省札)を発行した。71年廃藩置県とともに従来発行の藩札約250種を政府の負債として受け継ぎ,新紙幣による統一整理の方針をたてたが,その完成は82年の日本銀行設立,85年の兌換(銀)開始まで待たねばならなかった。すなわち政府の財政困難によって政府自身紙幣の発行を続行し,1871-72年には三井組の名義で大蔵省兌換証券・北海道開拓兌換証券を発行し,さらに72年以後明治通宝札を発行,政府直接発行の紙幣は80年の神功皇后札まで続いた。しかしその間,真実の商品流通に基礎づけられた銀行券の発行およびこれによって政府紙幣と代置する企図もつぎつぎに具体化された。1869年,主要都市および開港場8ヵ所に富豪に為替会社(当時のbankの訳語)を設立させ,これに,金,銀,洋銀(横浜のみ)の兌換券を発行させたが,1872年以後には,国立銀行法(アメリカのナショナル・バンクスnational banksの制度の導入)を設けて民間資本をもって銀行を設立させた。政府は公債を発行してこれに引き受けさせ,この公債と正貨とを発行準備として国立銀行券を発行させ,これによって既発紙幣の回収を図ろうとした。しかし国立銀行の設立は150行以上にも達したが兌換は実行されず,貸付けの増加により産業の発展には貢献したが,発行紙幣が累積的に増加するのみで,紙幣の統一整理の目的ははたされなかった。82年設立の日本銀行の兌換券によって,はじめて従来発行の政府紙幣および不換国立銀行券の漸次的回収整理が完了された。97年金本位制採用とともに日銀券は銀兌換より金兌換に変更され,第1次大戦により1917年イギリスにならって金輸出および兌換を停止,30年1月より31年12月まで一時金輸出および兌換を開始したが,以後ふたたび禁止して第2次大戦後の今日にまで及び,日銀券は必ずしもそれによって信用券としての性質を失ったとはいえないが,不換券という点では政府紙幣と異ならない状態となっている。なお第1次大戦中,小額通貨の不足を補うため政府みずから50銭以下3種の政府紙幣を発行したが,同戦後まもなく回収された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「紙幣」の意味・わかりやすい解説

紙幣
しへい
paper money 英語
Papiergeld ドイツ語
papiermonnaie フランス語

政府紙幣や銀行券などの紙製の貨幣。通常は、同じく紙幣(紙券貨幣(ペーパー・マネー))であっても、兌換(だかん)銀行券、商業手形、小切手などを信用貨幣として区別しているので政府紙幣をさして用いる。紙幣の歴史は古く、中国ではすでに漢の時代に存在していたといわれるが、各国政府によって本格的に発行されたのは18~19世紀である。史上代表的な紙幣としては、フランス革命時に革命政府が発行したアッシニャ紙幣assignat、アメリカ南北戦争時のいわゆるグリーンバック紙幣greenback、第一次世界大戦時にイギリス政府が発行したカレンシー・ノートcurrency noteなどがある。わが国では、江戸時代の藩札、明治政府の太政官(だじょうかん)札や新紙幣、第一次世界大戦時や、日中戦争から第二次世界大戦にかけての小額紙幣、日本軍占領地での軍票などがある。

 各国の紙幣は、多少の差異はあっても一般的には次のような特質と機能を備えていた。

(1)紙幣には兌換紙幣と不換紙幣とがあるが、多くは結果的に後者であるか、発行当初から後者であった。

(2)それでも人々の間で授受される直接的根拠は、国家が強制通用力を付し、法貨としていることにある。

(3)補助貨幣の代用として発行される場合もあるが、多くは戦争などによる財政難を解決する一手段として発行された。この場合、発行額は流通の必要に応じて決まるのではなく、おもに財政困窮の度合いによって決まった。

(4)流通には購買手段として直接投下されるが、不換紙幣のため兌換による流通からの回収もなく、さらに租税の納入や国債応募によって発行者たる政府に還流しても、財政支出がよほど緊縮されない限り、還流額を超えてふたたび発行され、流通内に滞留することになった。

 以上の結果、政府紙幣の大規模な発行は、しばしば紙幣価値の下落、インフレーションの原因となったが、前述のアッシニャ紙幣、グリーンバック紙幣はその例として有名である。

 なお、今日の中央銀行券は不換銀行券であり、その過剰発行(流通)が兌換によって規制を受けていない点では政府紙幣と同じであり、つねにインフレーションを引き起こす可能性をもつ。しかし、他面でその発行・還収は兌換銀行券のそれとほぼ同様の形態によって行われることから、インフレーションもまたこの発行・還収のルートのなかで生ずることになる。中央銀行が政策上の錯誤をしないよう強く要請されるゆえんもここにある。

[齊藤 正]

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百科事典マイペディア 「紙幣」の意味・わかりやすい解説

紙幣【しへい】

紙を素材とする貨幣をいい,金属貨幣に対する。狭義には政府紙幣のみをさすが,広義には銀行券も含む。両者は本来異質のものであるが,1930年代に世界的に銀行券が兌換(だかん)を停止され不換紙幣となって以来,その性格は政府紙幣に近くなった。政府紙幣は国家により強制通用力を与えられて流通し,流通必要量以上に発行されると価値を減じ,インフレーションを招く。最古の紙幣は中国で現れたとされる。日本では江戸時代の藩札などを先駆とし,維新後に財政収入の不足を補うため太政官(だじょうかん)札大蔵省兌換(だかん)証券民部省札などの政府紙幣が相次いで発行され,インフレを招いた。紙幣整理事業ののち1885年日本銀行兌換券が発行されたが,1931年兌換停止。政府紙幣は1899年通用廃止とされ,両大戦の際発行された小額紙幣も1953年廃止。現在は日本銀行券のみが流通している。→軍票
→関連項目貨幣商品貨幣兌換券軟貨幕府札

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普及版 字通 「紙幣」の読み・字形・画数・意味

【紙幣】しへい

紙銭。神にささげる。また、紙の通貨。宋・梅尭臣〔子湾辞〕詩 (つひ)に紙を持して、陬(べうすう)に挂(か)く 風飄搖(へうえう)して、喜び收むるが如し

字通「紙」の項目を見る

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「紙幣」の意味・わかりやすい解説

紙幣
しへい
paper money

(1) 貨幣の形態が印刷された紙によるもので,硬貨と対比しての表現。日本では通常,日本銀行券をさす。 (2) 政府紙幣をいい,銀行券と峻別される。しかも政府紙幣は多くは不換紙幣であるが強制通用力が付与されている。中央銀行制度確立前には政府紙幣は財政の赤字を補うために発行されたが,その後は補助貨幣の欠乏を補うために小額紙幣として発行される場合が多い。日本では第2次世界大戦中およびその直後に発行された 50銭の小額政府紙幣がその代表例である。なお日本銀行設立前に国立銀行が発行した銀行券は国立銀行紙幣と称されるが,これは歴史上の固有名として解釈するべきである。

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世界大百科事典(旧版)内の紙幣の言及

【会子】より

…中国,宋代に民間で用いられた手形,またこれにならって南宋政府が発行した紙幣。手形は寄付会子,便銭会子,寄付兌便銭物会子と呼ばれる。…

【貨幣】より

…このことは,後に述べるように,貨幣の制度が発展した現代の経済においてもまったく同様にあてはまることである。 貨幣経済の発達は,商品貨幣から,銀行券,政府紙幣のようなそれ自体の使用価値はほとんどまったく存在しない表券貨幣へという移行を伴っているが,この表券貨幣が貨幣として流通しうるのも,上に述べた信認が存在するからである。表券貨幣に対するこの信認を維持するためのくふうとしてとられたのが,表券貨幣の裏づけとして,商品貨幣を位置づけるという本位制度であった。…

【キヨソーネ】より

…1867年パリ万国博で受賞,69年にはミラノのアカデミー会員となる。70年明治新政府がフランクフルトのドンドルフ社に紙幣製造を依頼し,彼がその原版彫刻に従事したのを契機に日本に招聘される。75年摺師とともに来日。…

【銀行券】より

…他のヨーロッパ諸国もおおむね同じ推移をたどった。このように銀行券は,個々の銀行から中央銀行へと発行主体が変化したが,その信用供与を見返りに発行される点では共通であり,おもに政府財政の赤字補塡(ほてん)のために発行された政府紙幣とは基本的に異なる。 金本位制のもとでは銀行券は金貨と兌換(だかん)されるので,この兌換銀行券は金貨と同価値物である。…

【藩札】より

…江戸時代に諸藩が発行した紙幣。最初の藩札は1661年(寛文1)越前国福井藩で発行した銀札であった。…

※「紙幣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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