井田武雄(読み)イダ タケオ

20世紀日本人名事典 「井田武雄」の解説

井田 武雄
イダ タケオ

明治〜昭和期の医師 東京慈愛病院院長。



生年
嘉永4年11月(1851年)

没年
昭和8(1933)年5月23日

出生地
伯耆国(鳥取県)

学歴〔年〕
長崎養生所

経歴
慶応元年(1865年)から明治初年まで長崎養生所に学び、カナダ政庁に招かれ3年間滞在した後、明治10年陸軍軍医として西南戦争従軍。のち海軍軍医となる。26年荒尾と共に東方通商協会を創立し投獄される。その後、東京養神病院院長、東京慈愛病院院長を務める一方、東京で東亜問題に尽力晩年は東京四谷病院の経営に当たった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井田武雄」の解説

井田武雄 いだ-たけお

1851-1933 明治-昭和時代前期の医師。
嘉永(かえい)4年11月生まれ。慶応元年から長崎養生所にまなぶ。カナダに3年滞在したのち,明治10年陸軍軍医として西南戦争に従軍。のち海軍軍医となる。東京養神病院長,東京慈愛病院長をつとめ,晩年は東京四谷病院の経営にあたった。昭和8年5月23日死去。83歳。伯耆(ほうき)(鳥取県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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