井相田村(読み)いそうだむら

日本歴史地名大系 「井相田村」の解説

井相田村
いそうだむら

[現在地名]博多区東雲町しののめまち一―四丁目・元町もとまち一―三丁目・竹丘町たけおかまち一―三丁目・春町はるまち一―三丁目・麦野むぎの一―六丁目・井相田一―三丁目、大野城市雑餉隈町ざつしよのくまちよう二丁目など

那珂なか郡に所属。御笠みかさ川中流左岸、板付いたづけ村の南東に位置する。南は春日村、東は御笠郡中島なかじま村・山田やまだ(現大野城市)日田街道が通っていた。小早川時代の指出前之帳では麦野村の内。慶長七年(一六〇二)の検地高二九三石余、うち大豆五六石余(慶長石高帳)。元禄五年(一六九二)には高三三六石余、家数五四・社一、人数二五三(田圃志)。石高書上帳案の郡帳高も同じ。寛政期(一七八九―一八〇一)の家数四〇(うち酒家一・麹家二)・人数一七四、牛三・馬二一(別本「続風土記附録」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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