井苅村(読み)いかりむら

日本歴史地名大系 「井苅村」の解説

井苅村
いかりむら

[現在地名]四賀村会田あいだ 井刈

松本藩領会田組で、のち幕府領。落水おちみず村の西に連なり、北は北山きたやま村、南は執田光しつたこう村に接する。上井苅から北山へ、下井苅からは執田光へ南北の道が通じ、また会田と明科あかしな間の道が東西に貫く。

天正検地時の村高は一四〇石四斗三升で、「信府統記」によると、享保九年(一七二四)当時の石高は二六四石四斗四升八合五勺、うち田一二五石四斗九升二合、畑一〇五石三斗一升八合五勺である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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