交野郊祀壇跡(読み)かたのこうしだんあと

日本歴史地名大系 「交野郊祀壇跡」の解説

交野郊祀壇跡
かたのこうしだんあと

「続日本紀」延暦四年(七八五)一一月一〇日条に「祀天神於交野柏原、賽宿祷也」とあり、桓武天皇は中国の皇帝の例にならって初めて柏原で天神を祀った。同書同六年一一月五日条にも大納言藤原継縄を交野に遣わし、父光仁天皇を天神に配祀してその徳をたたえる祭祀を行わせたことがみえ、その漢文祭文を引いている。「文徳実録」斉衡三年(八五六)一一月二三日条には、大納言藤原良相らを交野郡柏原野に派遣して昊天祭を行った記事がみえる。これらの儀式の場が郊祀壇で、「河内志」に「在片鉾村」とあるが、推定地(片鉾本町)は現在住宅が密集して痕跡をとどめない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

政府首脳が外国を訪問した際の会談内容や合意事項を記した外交文書。法的拘束力は持たないが,その内容は両国を事実上拘束する。類似のものに共同発表 joint statementがあるが,これはより記録的な...

共同声明の用語解説を読む