天保一二年(一八四一)の「桑下漫録」によると篠山藩領四〇石・旗本津田美濃守知行地三八〇石の入組地で、戸数四五、「四方上田にして所産五穀上品也、綿等作其外諸色何も吉」という。
村の南に
置氷室三宇
、供御闕乏也」とみえ、このとき河内国に増置された氷室の一つが当地に置かれたと伝える。「大阪府全志」はその跡を山城国との境の字下の谷とするが、遺構はない。永禄二年(一五五九)八月二〇日付交野郡五ケ郷惣侍中連名帳(三之宮神社文書)に「杉村」とみえる。中世末、津田郷とその周辺を領有した津田氏が三好長慶に属して本領を安堵され、永禄年間に当村を開発したという(「津田郷土史」松村家文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報