京南庄
きようなんのしよう
「興福寺略年代記」の天平宝字五年(七六一)の条に「於山階寺、毎年皇太后忌日講梵網経、京南田卅町為供」とある。これによると、光明皇后の忌日田として京南三〇町の供田があったと考えられ、京南庄は同供田にさかのぼりうる。建久二年(一一九一)の興福寺政所下文(興福寺年中行事夏)に、
<資料は省略されています>
とある。これは興福寺政所から京南庄・四十八町(庄)作人に宛てた下文だが、両庄とも、いわゆる御忌日田であることがうかがえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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